森島恒吉先生の法話集(過去ログ)


「みずから復讐すな」(聖書の言葉)
No.203 森島恒吉    1999/03/22 (月) 06:23 富士宮市
「天使のお仕事」第9回〜第11回

東京へ行って、しばらく留守をしていた為、「天使のお仕事」について感想を書けませんでしたが、「天
使のお仕事」第9回〜第11回に出てきた、「神の試練」と「復讐するは我にあり」という言葉に関する聖
書の原文を文語訳で書き留めることにいたします。新約聖書マタイ傳第5章の「汝の敵を愛せ」という一
節は、前に書きましたので省略しました。

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【新約聖書 コリント人への前の書 第10章 13節】(「文語訳聖書」日本聖書協会)

汝らが遭(あ)ひし試煉(こころみ)は人の常ならぬはなし。
神は眞實(まこと)なれば、
汝らを耐へ忍(しの)ぶこと能(あた)はぬほどの試煉に遭(あ)はせ給はず。
汝らが試煉を耐へ忍ぶことを得んために
之(これ)と共に遁(のが)るべき道を備(そな)へ給はん。

【新約聖書 ロマ人への書 第12章19節】

愛する者よ、
自(みずか)ら復讐(ふくしう)すな、
ただ神の怒(いかり)に任(まか)せまつれ。
録(しる)して『主いひ給(たま)ふ、復讐するは我にあり、我これを報(むく)いん』とあり。

【旧約聖書 レビ記 第19章18節】

汝(なんぢ)仇(あた)をかへすべからず。
汝の民の子孫(ひとびと)に對(むか)ひて
怨(うらみ)を懐(いだ)くべからず。
己(おのれ)のごとく汝の鄰(となり)を愛すべし。
我(われ)はエホバなり。
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[私の解説]
宗教指導者として立つような天命を持つ人は、必ずといってよいほど、神の試練が与えられるものです。
神より与えられる数々の試みに合格した者だけが、神の御言葉を伝える指導者として許されるのです。こ
の神の試みに合格することは、並大抵のことではなく、狂人になるかならないか、というくらいの異常な
体験を味わわされ、深い信仰を持っていても、ほとんどの人が落第してしまうほどの難しさなのです。

どのように神が試みるかは、五井先生の自叙伝「天と地をつなぐ者」に詳しく書かれているので、ぜひお
読みになることをお勧めします。私たちが神の試練に合格するには、どんな問題が出てこようと、「世界
人類が平和でありますように」と答えればよいのです。ところが、自分の肉体知恵で、あれこれと余計な
答えをするものですから、いつまでたっても神の試練に合格できず、神の試練がつづくことになるので
す。尚、現代語訳と違って文語訳聖書では、試練を「試煉」と、火へんの煉という文字を使っています
が、もちろん、こちらのほうが本来の意味に近いのです。

「愛する者よ、みずから復讐すな」という聖書の言葉は、怒りを鎮めるのに非常に効果のある浄めの言葉
です。ふつうの人は、殴られたら「殴り返してやりたい」と相手を憎しみ、傷つけられたら「相手を同じ
めにあわせてやりたい」と復讐の念にかられます。旧約聖書に記述されているように、現代のように警察
や刑法がなかった昔は、個人が復讐することを認められていたのですが、相手の暴力から自分を防御しよ
うとして、今でいえば正当防衛で人を殺してしまった場合や、復讐に対して復讐するというケースもあっ
て、どちらが正しいのか判らなくなってしまい、怨みに怨みを返すということが、延々と続いてしまうこ
とになったのです。この怨みが個人から集団の民族へと拡大し、今に至ってもなお、民族同士の憎悪と対
立が続いているわけです。先祖代々、民族同士で殺戮しあい、敵に対する憎しみを子孫に言い伝えてきて
いるのですから、和解するのは、なかなか容易なことではありません。

「あいつに復讐してやりたい」と怒りにふるえて、犯罪をおかしそうになった時、「ああそうだった、何
も自分が直接手を下さなくても、神様があいつに復讐して下さるんだ」と思いますと、怒りの炎がスーッ
と消えてゆき、相手と同じ罪を重ねずに済みます。「自分をいじめたり、自分を傷つけてきたり、自分を
悪く言ったり、自分を陥れようとした悪いやつは、何も自分が直接その相手に報復しなくても、神によっ
ていずれ報復されるのだ」と知りますと、復讐の念から解放されるのです。

相手を憎しむということは、憎んでいる自分もまた、心が晴れることがなく、苦しみつづけねばならない
ということです。人を憎んでいれば、自分の想念が憎しみの世界へと巻き込まれてゆき、自分の顔もまた
憎しみの形相へと変わってゆきます。憎しみの感情を持っている間、もちろん自分自身の幸福感など得ら
れません。人を憎んでいる間ずうっと、自分は幸福にはなれないのです。ですから、この怨みの輪廻を、
どこかでスパッと断ち切らねばなりません。その方法が「神の怒りに任せまつれ」という教えなのです。

但し、誤解しないように申しますが、怒りの神とか復讐の神という表現が、旧約聖書には出てまいります
が、真実の神が、肉体人間のように、いたずらに腹を立てて怒ったり、片方の民族に味方して復讐すると
いうようなことはありません。因縁因果という言葉は聖書にはありませんが、仏教と同じく因縁因果の思
想は、聖書にもありまして、「復讐するは神にあり」という教えは、因縁因果の法則面を説いたものなの
です。何も今の自分が罪をおかして相手に復讐しなくても、ひどい行為をしたその相手は、自らが犯した
罪によって、いずれは自らが裁かれる時がくるのです。その法則を知れば、自分で復讐しなくても済むこ
とを知って、相手と同じ誤りをおかすことはなくなります。

憎い相手を自分が直接殺さなくても、百年もたてば相手は死にますし、憎い相手と会わないようにすれ
ば、その相手はあなたの前から消えるのですから、その相手は死んだのと同じことです。このように考え
て、憎悪の感情からなんとか抜け出ることです。とは申しましても、今度は因果法則に把われて、自分が
恐怖におののく、という人も出てきます。ここが法則だけでは救われない難しいところなのです。

そこで、「世界平和の祈り」のような大愛の祈りの中に、自分の憎悪の感情を入れきってしまうのが、一
番よい、ということになるのです。「世界平和の祈り」をしておりますと、神々の大光明によって憎しみ
も怒りも消えてゆき、復讐する想念も浄められ消えてゆくのです。そして、自然に人を愛する光明心が輝
き出てくるのです。「世界平和の祈り」は、個人の怨みの想念だけでなく、民族間の怨みや憎悪の感情も
浄め去ってくれます。「世界平和の祈り」が各国に広まってゆくにつれて、民族間の対立は消え、国家と
国家の争いも無くなり、国境を超えて人類が愛しあえる日が必ず来るのです。その平和の日が一日も早く
来るように、私たちは「世界平和の祈り」を日々祈りつづけ、宣布しつづけているのであります。


彼を真実に愛しているならば…
No.213 森島恒吉    1999/03/24 (水) 23:34 富士宮市
世界人類が平和でありますように

皆さま、コメントをいただき、ありがとうございます。
お姫さまのご質問は、一人の生死に関する切羽詰まった問題なので、優先してお答えします。

Q.
森島様ちょっと変な質問をさせていただきます。神様からいただいた大切な命を、自分で自ら命を
たってしまう、という運命なんてあるのでしょうか? もし、その人が自殺をはかったら、それは
その人が自殺をするという運命だった、ということなのでしょうか?

A.
神さまからいただいた大切な生命を、自ら絶ってしまう自殺は、神さまのみ心に反する行為で、絶
対にしてはいけない行為です。運命というのは、神さまから与えられた生命を、人間の自由な意志
のままに運ぶということで、神さまのみ心にかなった真善美を具現化してゆく行為を天命のままに
生きるといい、善業、悪業による運命を幸運、悪運といい、前世からの業因縁の運命を宿命といい
ます。

神さまのみ心は、人間を常に生かそう生かそうと働いて下さっているのですから、自殺する天命と
いうのはあり得ませんが、過去世からの業因縁によっては、自殺する運命の人は、たしかにいるの
です。自殺に限らず、何月何日の何時何分に、どこそこで、こんな事故にあって死ぬ、という運命
も、これこれの病気になって死ぬ、という運命も、80%は宿命としてきまっているのです。後には
そんな指導はしなくなりましたが、五井先生の霊能力が発現しはじめた頃、ある人が相談に来まし
て、「あいつが憎くてたまりません」と五井先生に話したら、「ああ、その人は、来週のこの日の
何時何分何秒に電車にひかれるから、もう悩む必要はないよ」と五井先生は答えたのです。そして
五井先生の答えた通りに、相談者の悩みの種であった、その憎い人は死んだのでした。このように
過去世からの運命というものは、ある程度は定まっているのです。

しかし、業生の法則のままに、過去世の宿命に流されて不幸になるのでは、神も仏もありませんし
人類の運命は次第に悪くなっていって滅亡してしまいかねません。そこで大神さまは、法則面とは
別に、愛の働きとして、人類を救うために守護霊と守護神をつくられて、悪い運命が宿命として
あったとしても、その悪い運命が肉体界に現れないように、未然に、霊幽界で修正されているので
す。その守護のおかげで、人類は幾度も滅亡の危機を迎えながら、なんとか現在まで生き延びてこ
られたのです。いいかえれば、宿命として、自殺する運命や、事故にあって死ぬ運命があったとし
ても、守護の神霊に祈ることによって、その宿命を超えて、天命のままに無事に長生きすることが
できるのです。

ご相談者のご友人の場合は、「自殺を予告して準備をしている」とのことですが、彼を助ける方法
を教えてあげましょう。それには、彼に「裏切り者」と呼ばれる覚悟を、あなたが持つことです。
それはどういうことかと申しますと、彼の家族に、彼が自殺したがっている事実を、すべて告白す
ることです。

彼は「誰にも言ってはいけない」とあなたに伝えていますが、本気で自殺する気持ちがあるのなら
ば、あなたにも言わないはずで、あなたに話したということは、自殺をほのめかすことで、「あな
たにもっと愛されたい、あなたの心を自分に引きつけておきたい、あなたがどのくらい自分を愛し
ているのかを試したい」と彼は思っているのです。

彼との約束を破っても、彼の生命を助けるほうが大事です。彼を裏切っても、彼の生命を助けるこ
とが、神さまのみ心にかなうことなのです。あなたが彼の家族に、彼が自殺したがっていることを
話せば、彼は自殺することを思い止まるはずです。そのかわり、あなたは彼に「裏切り者」と恨ま
れるかもしれません。あなたへの愛が、憎しみに変わるかもしれません。あなたは彼に一生嫌われ
るかもしれません。しかし、あなたが彼を本当に愛しているならば、どんなに嫌われても、彼の自
殺をやめさせなければなりません。あなたのその深い愛は、すぐには報われないでしょうが、いつ
かはきっと彼に伝わります。

あなたの言葉や行動で、彼が自殺する決意に至ったということですが、女性に何か言われたくらい
で自殺するなんて、男として情けないなあ。たぶん、彼はあなたにわがままなことを要求して、あ
なたに断られたか、自分の人生が自分の思い通りにならなくて、希望をなくして「死んでやる!」
と言っているのでしょう。あなたが後悔することは、一つもありませんよ。たとえ、彼が自殺した
としても、それはあなたの責任ではありません。彼の人生は、彼が決めたのですから、すべては彼
の責任です。

幸い、あなたは「世界平和の祈り」を祈っていらっしゃるのですから、今まで通り「世界平和の祈
り」を祈り続けると共に、彼のことが気になるたびに、彼の守護霊さまに「彼の天命が完うされま
すように」と祈り、彼と一緒にいるときは、「私たちの天命が完うされますように」と祈ることで
す。そうしていれば、彼の宿命に自殺する運命があったとしても、現実に現れずに消えてしまいま
す。まず、彼の家族に相談して、彼の自殺を止めてあげて下さい。彼に反対することも、彼への愛
の現れの一つであるのです。あなた方の運命が良くなるように、私も応援しております。


ピラミッドの謎
No.219 森島恒吉    1999/03/27 (土) 02:17 富士宮市
世界人類が平和でありますように

ピラミッドの話が出てきましたが、白光の会員以外の方々は、いったいなんのことなのか、わから
ないと思いますので、今日はピラミッドについて説明することにしましょう。

白光真宏会には、宗教団体としての活動と、「宇宙子波動生命物理学・五井研究所」という研究機
関があり、世界を平和にする科学の研究しております。宗教的な教えは、信仰心のある人々には理
解されますが、唯物論者には敬遠されてしまいます。現在の地球人は、神を信じない唯物論者が圧
倒的に多いのですから、宗教的な布教活動だけでは、人類を救うことはできません。そこで、誰も
が納得できる平和のための科学を研究し創造しようと、五井先生が始められたのです。

平和のための科学とは、たとえば、どんな科学かと申しますと、どこかの国が日本に向かってミサ
イルを発射しようとボタンを押しても、日本からそのミサイルに特殊な波動を送って、ミサイルが
発射できなくなる、という科学です。基地だけでなく、軍艦や軍用機からのミサイル発射も、不可
能にさせてしまえば、日本は戦火にあわなくて済みますし、相手国も「軍事力で日本を攻撃するこ
とはできない」とわかれば、平和交渉のテーブルに出てくるほかはありません。すべての軍事兵器
が、使い物にならなくなってしまえば、戦争する気持ちにもなりません。そうした兵器を消滅する
科学を、平和科学というのです。

宗教による対立がありますが、霊界テレビに各宗派の教祖が現れて、「あなたたち、争ってはいけ
ません。神界ではこうしてみんな仲良くしているんだよ。心を一つにして世界平和を祈りなさい」
と信者に呼びかければ、各宗教宗派の対立はなくなってしまいます。また、霊界テレビに、数年前
に死んだ、自分のおじいさんやおばあさんが出演して、「おまえたち、ほら霊界はこのようにある
んだよ。世界平和の祈りを祈っていると、霊界でもこんなに幸せになれるんだよ」と現世の孫に通
信してきたら、どんな唯物論者も、霊界の存在や祈りの効果を認めざるをえなくなるでしょう。こ
のように誰もが納得できる普遍的な科学力が、世界平和実現には必要なのです。

最新鋭のジェット戦闘機で追いかけても捕まえられない、宇宙人の空飛ぶ円盤の技術力を、日本が
宇宙人と提携して手に入れれば、もうどこの国も日本を攻撃することはできません。そうした強い
平和科学力を持った上で、「さあ、皆さん、世界平和の祈りを祈りましょう!」と世界各国に呼び
かければ、その呼びかけに従わない国はありません。ですから、「世界平和の祈り」を普及すると
同時に、世界を平和にする科学力を得るべきだ、というのが、五井先生のお考えなのです。しかし
平和な科学力を得るには、あくまでも平和な心を持っている人のみが許されるのであって、少しで
も争いの想いのある人には、許されないのです。なぜならば、そうした絶対的な科学力は、神から
授けられるものだからです。平和な科学力を得るためには、「世界平和の祈り」を祈っていること
が条件なのです。

五井先生の平和科学研究の最初の動機は、アダムスキーの「空飛ぶ円盤」であり、それから数年後
に日本で翻訳出版された「ソ連圏の四次元科学」であったのです。今から30年ほど前に翻訳出版さ
れ話題になった、この本には、ソ連圏でひそかに研究されている、念力で物を動かす念動、写真の
フィルムに念力で物を写す念写、地上の基地と海中の潜水艦と交信するテレパシー、などが紹介さ
れていました。その頃のソ連はご存じのように、宗教を否定する共産主義の国であったのですが、
神とか信仰を切り離して、人間の精神力の存在については、国家をあげて研究していたのです。

ソ連が霊能力について研究を始めたのは、「一人の霊能力者が、警備の厳重なクリムリンに侵入し
多くの兵士に見つからずに、国家首脳のいるルームまでたどり着くことができるか?」という実験
をしてからでした。その霊能力者は、半信半疑の科学者たちの実験を受けて、クリムリンに入って
行ったのですが、不思議なことに多くの兵士の前を通りながら、どの兵士にもとがめられずに、ソ
連首脳のルームにたどり着いてしまったのです。兵士の誰一人として、その霊能者が自分の目の前
を通り過ぎて行ったことを覚えていないのです。警備をしている兵士の誰もが、「そんな人物は自
分の前を通らなかった」と言い張ったのです。

「なぜ、あなたは多くの兵士の厳重な警備を無事にかいくぐって、クレムリンの内部へと侵入でき
たのか?」とソ連首脳者と科学者たちが尋ねたところ、その霊能者は「なんでもないことです。兵
士たちに、私の姿が見えないように念力をかけたのです」と答えたのです。
「恐るべし、霊能力!…この力は軍事兵器として使える!」と、ソ連首脳者たちは、今まで知らな
かった霊能力の存在を事実として認め、国家予算で霊能力を科学研究することに決めたのです。
「アメリカの情報をテレパシーで盗めないか?」
「敵が攻撃してくる爆弾を念力で破壊できるか?」
「敵国の指導者に念力をかけて、殺すことはできるか?」
ソ連はこのような軍事目的で、真剣に霊能力について科学的に研究を始めたのです。

「ソ連圏の四次元科学」には、その他、東欧の国々に広まっている神秘パワーについても紹介して
いますが、その一つが「ピラミッドパワー」なのです。エジプトのピラミッドに入った旅行者の一
人が、ピラミッドに迷い込んで死んでいる小動物の屍骸を観察しているうちに、奇妙な発見をした
のです。それは小動物たちが、共通して腐らずにミイラ化していることでした。
「これは、なぜだろう?」
その旅行者は自国のチェコへ帰ると、ピラミッドの小型模型を作り、いろいろと実験をして、ピラ
ミッドという形状から、未知の不思議なパワーエネルギーが生じていることを確かめたのです。そ
のピラミッドパワーを応用した製品が「カミソリ再生装置」で、特許として認可されました。小さ
なピラミッドの中か上に、切れなくなったカミソリの刃を置いておくと、再び新品のようにヒゲを
剃れるようになる、というのです。

そして、人間が入れるほどの大きさのピラミッドをつくり、そのピラミッドの中に人間が入ると、
ピラミッドパワーは人間にどのような影響を与えるか、という実験が行なわれるようになったので
す。そして、エジプトのピラミッドの形は四角錐ですが、西洋の童話に出てくる魔法使いがかぶっ
ている帽子のように、霊能力を開発するには、円錐形のピラミッドが有効ではないか、という仮説
が現れたのです。

そのヒントを得て、白光真宏会の宇宙子波動科学研究も、円錐形のピラミッドを組み立て、その中
に入って瞑想統一する行事を始めたのです。白光真宏会の会員さんが口にするピラミッドとは、白
光真宏会の土地に設置された、この円錐形のピラミッドのことなのです。このピラミッドは、工学
の得意な島田重光先生が設計しました。直径7メートル・高さ7メートルほどの大きさの円錐形の
ピラミッドです。今までは、このピラミッドには、選ばれた宇宙子波動科学メンバーだけが入って
統一行を重ねてきたのですが、最近になって、一般会員も中に入ってお祈りすることができるよう
になったのです。

このピラミッドについては、まだまた不明なことが多く、「このピラミッドに入れば、これこれし
かじかの効果がある」とは、申し上げられない段階です。誰にでも同じ効果がなければ、普遍的な
科学として実証できないからです。多くの人々の臨床実験により、今後その効果は明らかになって
ゆくことと思われます。

このピラミッドに入らなくても、どこそこの聖地に足を運ばなくても、あなたが今いるところで、
安心立命を得る方法があります。それは「世界平和の祈り」の中に入ることなのです。そこで私は
ピラミッドについて詳しく知りながらも、ピラミッドについては触れないで、「世界平和の祈り」
だけを説きつづけているのです。どこにいても、「世界平和の祈り」の波動を発していることが、
人間として最高の生き方であるのです。「世界平和の祈り」をあなたが祈る時、あなたの周囲には
ピラミッドのように大光明の場が形成され、神々の大光明が輝いて、カルマの波動からあなたを守
り、世界にその光明が放射されているのです。「世界平和の祈り」を祈る時には、「私は大光明の
光に包まれているんだ」と思えばよいのです。形態波動学については、発表していない事柄があり
ますが、私の天命は、皆さんに「世界平和の祈り」を祈っていただくことにあるので、ピラミッド
については、これくらいにして止めておくことにします。


神は愛なり
No.217 森島恒吉    1999/03/26 (金) 02:15 富士宮市
[天使のお仕事]第12回 (最終回)

フジテレビの「天使のお仕事」も、3月24日(水)で、ついに最終回を迎えました。
フィクションのドラマとはいえ、一つの宗教を題材にすることは、テレビ局としては決断のいるこ
とであったと思います。プロデューサーの話によりますと、この物語は修道院を舞台にしています
が、「人を愛すること、人を信じること」の大事さを社会に訴えたい、というものでした。

宗教の世界をまったく知らない若者たちにとっては、「こんな世界もあったのか!」と驚いたこと
と思います。プロデューサーの意図は別にして、若者たちに人気のある観月ありささんを主人公に
して、「神への祈り」という崇高な行為を放映したことは、非常に意義のあることでした。神への
信仰をテーマにした、このような美しい物語が、今後もプロデュースされることを望みます。

神に祈ることは、けっして時代遅れの迷信ではなく、非科学的な行為でもなく、力のない行為でも
ない、ということを若者たちに知ってほしいと思います。観月ありささんの祈る姿は、とても美し
くて感動的な光景でしたが、美しいだけではなく、神は生命そのものであり、神は人間の祈りに常
に応えて下さっているのです。神がまるで沈黙しているように感じる時もあるかもしれませんが、
それは人間が自分勝手にそう感じるだけで、神は人間の祈りに常に応えて下さり、見守って下さり
力を与えて下さっているのです。この物語によって、一人でも多くの人が、神への信仰に目覚め、
更に「世界平和の祈り」を祈るようになって下さることを、私は祈っております。

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【新約聖書 ペテロの前の書 第五章7節】(文語訳聖書/日本聖書協会)

もろもろの心勞(こころづかひ)を神に委(ゆだ)ねよ、
神なんぢらの爲(ため)に慮(おもん)ぱかり給(たま)へばなり。

【新約聖書 ロマ人への手紙 第十三章8節】

汝等(なんぢら)たがひに愛を負(お)ふのほか何をも人に負(お)ふな。
人を愛する者は律法(おきて)を全(まった)うするなり。

【新約聖書 ヨハネの第一の書 第四章7節・16節】

愛する者よ、
われら互(たが)ひに相(あひ)愛(あい)すべし。
愛は神より出(い)づ、
おほよそ愛ある者は、神より生(うま)れ神を知るなり。
愛なき者は、神を知らず、
神は愛なればなり。

神は愛なり、
愛に居(を)る者は神に居(お)り、
神も亦(また)かれに居(ゐ)給(たま)ふ。
……………………………………………………………………………………………………………………
[私の解説]
聖書は、イエスのお話を弟子が書きとめた古い文を、数百年もかけて後の人が翻訳し直して、章と
してまとめたものですから、イエスのお話として残っている言葉も、必ずしもすべてが正しいわけ
ではなく、弟子がイエスの心境を推測して書いた箇所もあることを承知しておかねばなりません。
その点、聖書の字句のすべてを、一言一句信じて疑わない宗派の人たちとは、私は解釈を少し異に
するのです。

たとえば、イエスが十字架の磔にかけられた時「わが神、わが神、なんぞ、我を見棄(す)て給ひ
し」とイエスが言ったと、マタイ傳とマルコ傳には書き記されていますが、「神よ、み心のままに
なしたまえ」と寸前には祈っているイエスが、いよいよ十字架にかかる時になって、神に対して今
更そんな怨みがましい弱音を吐くわけがありません。十字架にかかる以前に、イエスは、逃げよう
と思えば逃げるチャンスは、いくらでもあったし、今でいう裁判長の地位にあった総督ピラトに対
しても、自己弁護しようと思えば、うまく自己弁護して、十字架にかからずに逃げることもできた
はずです。

それでは、イエスは十字架上で、真実はどのように言ったかといえば、「神よ、これでみ心が成就
いたしました」と言い、ルカ傳にあるように「神よ、わが霊(れい)を御手(みて)にゆだぬ」と
言って、心安らかに息絶えたのです。こうした解釈は、聖書の一言一句に把われていてはできませ
ん。また、二千年も前のことですから、新約聖書に権威を持たせようとして、旧約聖書をやたらに
引用してあったり、現代人には分かりにくい独特の表現や、現代人には行じることが難しい真理の
教えがたくさんあります。聖書の教えのすべてを行じることは、とうてい無理なのですから、聖書
の中で、自分の胸を打つキラリと光る真理の言葉を一つでもいいから発見して、その真理に少しで
も近づこうと努力してゆけばよろしいのです。その手助けとして、私のこの解説が、皆さまのお役
に立てば幸いである、と思うのです。

思い煩うことがあったら、守護の神霊のみ心に委ねることです。これを神への全託といい、イエス
は、ご自分も、もちろん、神に全託されていましたし、弟子たちにも、神への全託を繰り返し教え
ておられたのです。守護の神霊は、私たちの想念の動きを常に見守っていて下さり、どんな問題も
悩みも、どうしたら解決できるかをご存じであるのですから、「守護霊さま」と呼びかけていれ
ば、守護霊は常に正しき答えを出して下さるのです。それはインスピレーションとして与えられる
時もありますし、他人から何気ない言葉として教えられる時もありますし、自然な行為とし現れる
場合もあります。

新約聖書のイエスの教えに一貫していることは、神への愛、人への愛です。人を愛することは、ど
んな律法にもまさる正しい生き方であり、愛することができさえすれば、神のみ心を全うすること
ができるのです。愛は神のみ心より流れてきているのですから、愛ある者は神を実感するのですし
愛のあるところに神の光は輝いているのです。神がどこにいるのか知りたかったら、人を愛するこ
とです。そうすれば、あなたの行為の中に、神はいつでも現れて下さるのです。神は愛なり、愛の
中に神は居る、なのです。

たった一人でもいいから、人を愛することです。一人の人を一生愛しつづけてゆければ、こんなに
幸せなことはありませんし、こんな立派な生き方はありません。私たちは、その愛をさらに人類愛
へと大きく広げて、「世界平和の祈り」という祈り言にして、神の愛をイエスと共に広め、神のみ
心のままの愛に満ちた地上天国をつくりあげようとしているのです。
マタイ傳第五章9節で、イエスはこう説いています。

「幸福(さいはひ)なるかな、平和ならしむる者。その人は神の子と稱(とな)へられん」

「世界平和の祈り」を祈る私たちは、神の子として、世界平和のために働いているのであります。
「世界平和の祈り」を祈る時、イエスをはじめ、多くの聖者方が、私たちと共に祈って下さってい
るのです。その大光明の力は、日が経つにつれて、しだいに明らかになってくるのです。

「天使のお仕事」をプロデュースして下さったフジテレビの皆さま、日本聖書協会の皆さま、クリ
スチャンの皆さま、観月ありささんとファンの皆さま、この掲示板を見て下さって、ありがとうご
ざいました。そして、私の背後から教え導いて下さった、神霊イエスキリストに深い感謝を捧げて
擱筆することにいたします。

世界人類が平和でありますように


女性の立場から、ご遠慮なく書いて下さいネ。
No.220 森島恒吉    1999/03/27 (土) 02:41 富士宮市
世界人類が平和でありますように

ティナさん、コメントをありがとうございます。生まれた時から「世界平和の祈り」を祈っている
あなたの文章を読みますと、あなたの素直さ、正直さ、明るさ、温かさがよく現れていて、とても
好感を感じます。ほんわかと温かい気持ちになります。

お姫さまも、小学生の頃から、「世界平和の祈り」を祈っていて、自然に「守護霊さま、守護神さ
ま…」と守護の神霊に呼びかける習慣がついていて、素直ないい人だなあ、と心から思います。

ティナさんやお姫さまのように、女性の立場から、ぜひ今後もコメントをお寄せいただきたいもの
です。今後も、遠慮しないで、書き込んでくださいね。ティナさんやお姫さまのような体験談は、
白光の会員になったばかりの人や、白光を知らない人にとっては、良い参考になるのです。


T.U様へ「唯一会」について
No.224 森島恒吉    1999/03/29 (月) 13:14 富士宮市
T.U 様へ

世界人類が平和でありますように
お問い合わせをいただき、ありがとうございました。この掲示板は、一般に公開されておりますの
で、プライバシー保護の為に、あなた様の実名と住所を私のほうでメモした後、その部分を削除し
改めて転載させていただきました。ご了承下さい。

「もっと良くこちらの教えを知りたい」と思われたとのことですが、あなた様はすでに白光真宏会
の会員の方で、唯一会のことを知りたいと、お思いなのでしょうか。それとも白光真宏会のことも
知らず、たまたまこのページを見て、私どもの教えを知りたいと、思われたのでしょうか?

この掲示板"PEACE NIFON"左上の唯一会表紙に行く「HOME」ボタンをクリックします。
唯一会の表紙下にある「YUIITSUKAI」ボタンをクリックします。
すると、「唯一会のご案内」が出てきます。
(尚、表紙の「空飛ぶ円盤」をクリックしますと、私への電子メール作成画面が表示されます。)

「唯一会のご案内」の文章を下へスクロールしていきますと、末尾に私(森島)の連絡先が出てき
ます。夜8時すぎには、たいていおりますので、ご遠慮なくお問い合わせのお電話を下さい。

更にその下に、リンク集「教義の基本」「宗教問答(目次)」があります。
まず、基本的な知識として、「唯一会のご案内」「教義の基本」「宗教問答」の3つを、印刷して
かまいませんから、お読みいただきたいと思います。

白光真宏会の資料を、ご希望の場合は、後日無料でご希望にそった形で送付させていただきます。

唯一会の資料については、数年前に創立されたばかりなので、「試験問題」以外の紙の資料は、ま
だございません。光明思想について私がまとめた「完全光明思想」という小冊子はありますが、す
べてが五井先生の教えをまとめた非売品で公表してはおりません。唯一会のメンバーが増えてくれ
ば、会としての体裁も整えてゆかねばなりませんが、今のところ唯一会は、大学の同好会クラブの
ようなものですから、何も資料がないのが現状です。唯一会のメンバーのために、「大悟塾」とい
う塾を、二年間、富士山の近くにある本栖高原ホテルで毎月開いていましたが、それも終了して、
今は塾を開く予定はありません。

そういうわけで、現在はこの「唯一会のホームページ」しか資料としてはありませんが、このホー
ムページをお読みになれば、おおむね理解していただけると思います。そして、ご不明な点は、こ
の掲示板"PEACE NIFON"にご質問をお寄せいただければ、その都度、私がお答えします。

私へのご連絡は、電子メール、この掲示板"PEACE NIFON"、自宅電話のいずれでも結構です。
よろしくお願い申し上げます。あなたが幸せでありますように。


お祈りの時、何も感じないのですが…?
No.228 森島恒吉    1999/03/31 (水) 20:20 富士宮市
世界人類が平和でありますように

お姫さま、ありがとうございます。表紙の富士山の写真は、プロカメラマンの撮った写真で、CD-
ROMに収録された著作権フリーの素材集を使っております。桜と富士山の写真は、このほかにもあ
るので、いつ変えるか定めていませんが、楽しみにして下さい。いずれはデジタルカメラを使って
私自身が撮った写真を載せてゆくつもりです。

Q.お祈りをしていても、何も感じない時は、神様の光が私に届いていないのでしょうか?

A.人間というのは、形は同じように見えますが、心境は千差万別で、体質も生まれつき霊感を感
じる霊感体質の人と、霊感を全く感じない人がいるのです。霊感を全く感じない人は、宗教心のな
い人かというと、そうではなくて、過去世で霊修行をしたものの霊視や霊聴に把われて苦労した経
験があり、「ふつうの人として生活したい」と思った人が、霊感を全く感じない体質として今生に
生まれてくることもあるのです。また守護神によって、霊感のないほうが、今生で幸せに生きられ
ると判断した場合も、霊感体質を消されて、ふつうの人として生まれてきます。しかし、霊感はな
くても、過去世から培った深い宗教心は持っているので、神仏を素直に信じられるのです。

それでは霊感を感じる人は、みな神の声を聴くことができるのかというと、そうではありませんで
神霊世界の高い波動を受け取る人から、霊界の下層にある幽界の低い波動を受け取る人まで、これ
また幾つもの階層があって、霊感体質の人が必ずしも、魂の座が高いとは限らず、人格的に立派な
人とは言えないのです。ちょっとした予言のできる霊感のある人でも、奇矯な行為をしたり、非常
識な行為をしたり、異様な雰囲気を漂わせている人は、幽界の波動を感じやすい人なのです。

今はすでに他界されている霊能者の村田正雄さんは、「お祈りすると、体が火のように熱くなる」
「おお、熱い、熱い。今日の五井先生のお光は、特別に熱いですなあ」と度々お話しされていまし
たが、ふつうの人には何も感じなくても、霊感体質の人は、何かしら感じてしまうものなのです。
五井先生も柏手によるお浄めの時に、「これ以上、光を強めると、私の体が消えてしまうから、光
を弱めて、体が消えないように光の強さを調節しているんです」と教えて下さいました。

新田道場の小さな部屋で、五井先生が私たちをお浄めして下さった頃は、お浄めした後に「あなた
は、今どんなことを感じましたか?」と五井先生はその場の一人一人に感想を求めていたものでし
た。すると、「どんどん自分が大きくなりました」「上にあがってゆく気持ちがしました」「心が
明るくなりました」等、いろいろな感想があって面白かったものです。

さて、「お祈りしている時、何も感じないのは、神様の光が私に届いていない、ということなので
しょうか?」というご質問のことですが、お祈りしている時には、何も感じなくても、神様の光は
あなたにしっかりと届いておりますから、どうぞご安心下さい。

五井先生のように神霊の光の中に入ってしまいますと、もうすでに光明の中に常に住んでいるので
すから、今さら特別な光は感じないのです。それと同じように、心境が高い時には、お祈りしても
高低の変化がないので何も感じず、心境が暗い時などのお祈りは、急激な変化を感じるものです。
ですから、全く何も感じない時は、「あっ、今日は心が安定していて、万事調子のいい日なんだ」
と思っていいのです。何かを感じる時には、逆に注意したほうがいいですね。

それから、いつでも全く何も感じない人は、最初に説いたように、「霊感を感じる必要がない」か
らなのです。そして、「世界平和の祈り」を理解できて、祈ることのできる人は、本人は気づかな
くても、低い幽界波動を感じないで、神霊波動だけを感じることのできる実に幸せな体質の人なの
です。どんなに「世界平和の祈り」を勧めても、見向きもしない人もいますし、ちょっと説明した
だけで、「この祈りこそ、私が長い間探し求めていたものです」と感激する人もいます。霊感体質
でない人でも、このように「世界平和の祈り」を自然に祈れる人は、高い魂の人たちなのです。

幽界波動を感じる人は、幽界が肉体界に近いので、肉体界のことがよくわかるのです。それで霊感
体質の女性は、もしも自分の夫が外出していて、知らない女と浮気しておりますと、統一中にその
場面がパーッと浮かび上がって見えてきて、我慢できずに、その女と自分の夫がいる場に踏み込ん
でしまうのです。夫のほうは、突然の妻の来訪にビックリして「お、おまえ、なんで、おれがここ
にいることがわかったんだ!?」と夫婦ケンカになることがあるのです。何もわからなければ、夫
婦円満として過ごせるのに、なまじ妻に霊能力があるばかりに、夫が秘密にしていることまで知っ
てしまい、それに把われて悩みが深まってしまうのです。

ですから、霊能力と人格とは、別のものと考えて、「何が正しいのか」「何が神のみ心なのか」を
正しく判断できる、守護の神霊のみ心を感じる、正しい直観力を得ることが大事なのです。「世界
平和の祈り」を祈っておりますと、余計な霊感は消されてしまい、神のみ心にかなった正しい直観
力が湧いてきて、愛と真の正しい行為が自然に現れてくるのです。

「世界平和祈るは神のみ心のひびきにあれば祈る楽しさ」(五井先生の短歌)のように、「世界平
和の祈り」を祈る時、何も感じなくても、魂の喜びさえ感じることができれば、それが最高の心境
であるのです。あなたの場合も、何も感じなくとも、「世界平和の祈り」をしている時には、神霊
の大光明が、あなたに届いていて、あなたから放射されているのです。


「無為にして為す」(老子)
No.230 森島恒吉    1999/03/31 (水) 22:43 富士宮市
世界人類が平和でありますように

唯一会のホームページの解説や、"PEACE NIFON"を初めからお読みになっている方は、すでにご
存じのことと思いますが、私は白光真宏会の維持会員でありますが、現在の白光真宏会の指導方針
に対して、全面的に納得し従っているわけではありません。

詳しいことは、唯一会ホームページ「教義の基本」に書いてありますから、ここでは簡単に言いま
すと、現在の白光真宏会には、創始者の五井先生の教義に、二代目の昌美先生の教義が新たに付け
加えられておりますが、私は昌美先生の説かれる教義や行法は一つもやらずに、初代の五井先生の
お説きになった教義と行法だけを行じているのです。

すなわち、昔も今も相変わらずに、私は「世界平和の祈り」だけを祈り、五井先生から教えられた
如来印だけを行じているのです。昌美先生が教えられている「光明思想徹底行」「非光明思想消滅
行」「地球世界感謝行」「我即神也・人即神也・人類即神也の宣言と印」「願望成就宣言法」など
は、一切やっておりません。昌美先生の教義は、すべて五井先生の教えから外れた自力的教えと解
釈しているのです。

私がこう話しますと、昌美先生を信じている人は、私を嫌って離れてゆきますが、宗教の道を説く
立場に立ちますと、間違っていることを「正しい」とは言えません。昌美先生は、個人的には素晴
らしい人ですし、何も申し分のない愛すべき人です。しかし、宗教指導者としての昌美先生に対し
ては、「五井先生の教えに外れている」とはっきりと言わざるを得ないのです。

昌美先生の「光明思想徹底行」は、最近はやりの積極思想と同じであり、不自然な思想であって、
五井先生の自然に光明心を現す「自然光明思想」ではありません。
昌美先生の「我即神也・人即神也・人類即神也の宣言と印」は、五井先生が「やってはいけない」
と何度も戒めた生長の家のやり方と同一であり、真理に把われた教義であり行法であるのです。

「良いとか悪いとか批判せずに、ただ昌美先生に言われたことを素直にやりさえすればいいんだ」
と言う会員の人がいますが、それは「昌美先生の説くことが絶対に正しいにきまっている」という
前提で発言しているのであって、その人はその人でお好きなようになさったらよろしいでしょう。
但し、誤った教えを無批判で行じておりますと、誤った教えの変な癖がついてしまいまして、その
癖を取るのに、あとで大変な苦労をしなければなりません。10年以上、白光真宏会の会員として、
昌美先生から教えられた通りに行じていた人たちが、私から五井先生の教えを学び直すことになっ
たのですが、その間違った癖を取るのに、教えるほうも学ぶほうも、大変な苦労をしたのです。
ですから、何も批判せずに、何も考えずに行じるのではなく、五井先生の教えを正しく学びとり、
正しく理解した上で、行じたほうが、遠回りをせずに済むのです。

現在は、私が五井先生の代わりとして「世界平和の祈りが一番いいんだ! 世界平和の祈りよりも良
い行法などはないんだ!」と説いているのですから、嘘と思ってもいいから、一度は私の法話を読
んでみて、それでも「森島先生の言うことよりも、昌美先生の教えを信じる」と言うなら、それは
それで仕方ないと思います。私の教えを理解できる時期が、まだ来ていないのでしょう。

印というのは、静止印と動作印の二つがありまして、座禅で使われる禅定印のほか、阿弥陀定印、
来迎印、智拳印、施無畏印、与願印などの静止印と、真言密教やチベット仏教に伝えられている動
作印があります。たしか「リトルブッダ」という映画で、チベット僧が挨拶で動作印を示してみせ
て、相手の女性が「おお、美しい!」と答える場面があったように記憶しております。

「我即神也」については、宣言の言葉と動作印を、まず分けて考えねばなりません。「我即神也」
とは、「私は神である」という意味です。人間は「本来は」神の子であり、「本来は」神そのもの
といっても間違いではありませんが、現在の人間は、とても神の子とは呼べない心境であり、「私
は神の子である」と大見得をきって宣言できるほど、人類はまだまだ光明化してはいないのです。

今の段階で「私は神の子である」と言えば、それは嘘になってしまいます。神というのは、完全と
いうことですから、「私は神である」と宣言することは「私は完全である」と宣言することです。
しかし、現実には完全ではないのですから、嘘をつく想いがたまってゆき、かえって、鼻持ちなら
ぬ嫌味をまき散らす偽善者となってしまうのです。神になるどころか、かえって、神性顕現から遠
ざかってしまうのです。ここが、真理の言葉を扱うのに、非常に難しいところなのです。

そこで、五井先生は真理としては「人間は本来、神の分霊である」と教えた上で、その真理を現す
ための具体的な行法としては、「私は神である」「あなたは神である」「人類は神である」と宣言
する行法を採用せずに、守護の神霊に神性を開発していただく他力の祈りを勧められたのです。そ
して、「世界平和の祈り」を祈ってさえいれば、無理に「私は神である」と宣言しなくても、無理
に嘘をつかなくても、自然に人類は神の子として神性を顕現してゆくのだ、と教えたのです。

動作印について申しますと、「この動作印をすれば、このような効果がある」というようなもので
はなく、意識して手を動かすものではなく、無意識に手を動かした動作印が本物なのです。日本舞
踊の振り付けのように、定型の印があるわけではないのです。神のみ心にとって必要があれば、無
意識のうちに、「印を組もう」と思わなくても、自然に動作となって現れるものであり、必要がな
ければ、現れないのです。それを意識して印を組もうとしますと、自力行になってしまうのです。

五井先生の教えは、何度も申しますが、自力行ではなくて、他力行なのです。他力行とは、守護の
神霊に全託することです。その具体的な方法として、「世界平和の祈り」に全託することを教えて
いるのです。「世界平和の祈り」を祈っていて、もし、神のみ心にとって必要ならば、自然に動作
印が現れるでしょう。神のみ心にとって必要なければ、静止印のままでいることでしょう。どちら
にしても、肉体頭脳で、「このように印を組もう」と思う必要は全くないのです。意識的に組んだ
動作印は、「印をこのように組もう」という想念がそこにはあるのですから、すでに無為の境地で
はなく、本物ではないのです。無為にして印を組む。これが本物なのです。

以上の理由で、私は「我即神也・人即神也・人類即神也」の宣言をせず、それに伴う印も組まない
のです。おわかりでしょうか。神智から現れた「世界平和の祈り」に比べれば、肉体頭脳で考え出
された「我即神也」の宣言や印などは、下の下の下の低い教えなのです。

「世界平和の祈りは、我即神也に至るプロセスなのです」と昌美先生は説かれますが、私はそのお
言葉に同意できません。「我即神也の宣言と印は、世界平和の祈りを真実に皆さんが理解するまで
のプロセスである」と私は言うのです。私はその真実を知っているので、初めから「我即神也」な
どの行は一切やらないのです。この私の主張を理解できる人は、現在ごくわずかの人しかおりませ
んが、いずれは、すべての人が、「世界平和の祈りこそが究極の祈りだった」と、五井先生の教え
を驚きの目をもって改めて見直す日がくるのです。

無為にして為す。為さずして成る。


自力のプラス思考を他力の全託行へ変えよう
No.231 森島恒吉    1999/04/01 (木) 02:35 富士宮市
世界人類が平和でありますように

お姫さま、ありがとうございます。あなたのおっしゃることは、いつも正直で、カワイイね。ニコ
ニコと笑ってしまいます。(^_^) 私が書いた本は、20年ほど前に、合気道の師について書いた本
が一冊だけあります。私は合気道の内弟子として合気道の修行と指導をしてきましたが、内弟子時
代の記念にと書いた本です。今は合気道によほど詳しい人以外、その存在を知らないし、外部には
市販されていないと思います。ところが、この"PEACE NIFON"を読んでいる人の中で、私がその
本を書いたことを知っている正体不明の人物がいるのです。私のことを実に詳しく知っているので
驚いてしまいました。一体、誰なんでしょう?

1990年を境にして、昌美先生の道と私の道は明らかに異なってきまして、昌美先生が「世界平和の
祈り」以外の道へと進んでゆくにつれて、入れ代わるように、私は五井先生の教えを悟り、五井先
生と全く同じように「世界平和の祈り」を説くようになりました。その頃から、五井先生の教えを
ワープロでまとめて、島田重光先生の集会所で配ったりしておりました。私自身の文章も、ワープ
ロで印刷した小冊子がたくさんありますが、まだ本として出版はされていません。また、この二年
間は、大悟塾で行なう試験問題を作成する作業にかかっていたために、延び延びとなっておりまし
た。できる限り早い時期に、「五井先生の教えに関する私の本」を出版したいと思っております。
私の本が出版されれば、白光の会員の皆さんにとって、それこそ衝撃的な本となることでしょう。

プラス思考とマイナス思考について、私の考えを申しましょう。白状すると私も昔は、「プラス思
考」を講演で説いていたのです。この"PEACE NIFON"にときどき出てくるツボちゃんは、その頃
の私の講義を身近で聞いて知っている人なのです。今の私の法話を読んで「あれっ、昔の森島先生
の教えとずいぶん違うぞ」と思われたことでしょう。それで「私が間違っていた。申し訳ない。今
の私の教えが本当の教えなんです。昔の教えは忘れて下さい」とツボちゃんに謝ったのです。

ここ数年間、アメリカの自己啓発が日本に定着してきて、「積極思考」「プラス思考」という言葉
をよく聞くようになってきましたが、最近ではその反動のためか、マイナス思考を説く五木寛之の
「他力」がベストセラーになったり、「プラス思考だけじゃ駄目なんだ」という本も出版されるよ
うになりました。こうして一部の人が勘づいているように、プラス思考には欠陥があるのです。

たとえば、「私はできる、私はできる」と自己の能力を信じて、企業を拡大拡張することのみに把
われて、土地を買い、店舗を増やし続けたダイエーは、バブル崩壊後の今日、数千億円の赤字を抱
えてしまい、大金持ちだったダイエーの会長は、今や新宿駅構内にたむろしている浮浪者よりも貧
乏なのです。もし、プラス思考の欠陥を知っていて、臆病になって将来を心配していたら、バブル
崩壊にあっても、大きな借金を抱えることはなかったにちがいありません。こうした各企業の現状
を見ますと、プラス思考を各企業に講演して回り、数十万円の講演料を頂戴した私としては、自分
のしてしまった大失敗に、冷や汗が吹き出るのです。その罪滅ぼしのためにも、真実の思想を私は
説かねばなりません。

真実の思想というのは、プラス思考(積極思想)でもなければ、マイナス思考(消極思想)でもあ
りません。その両方を混ぜた思想でもありません。プラス思考もマイナス思考も、どちらも自力の
教えであることに気づいて下さい。「マイナス思考をプラス思考に変えよう」とするのは、誰が変
えるんですか?それは自分が自分の想いを変えるんでしょう?そうしたら自力ではありませんか!

五井先生の教えは、自力でマイナス思考をプラス思考に変えるんではないんです。そういう自力を
捨てて、守護の神霊に、自分の運命想念の一切をお任せしてしまうんです。マイナス思考が出てき
たら、出てきたままでかまわないから、自力でそのマイナス思考をプラス思考に変えようとしない
で、プラス思考もマイナス思考もすべて、守護の神霊にお任せしてしまうんです。そうすると、プ
ラスとかマイナスを超えた真の自由思想が生まれるんです。この自由思想は、社会で認知されてい
る自由民主主義の自由とは、意味が違いまして、形の自由を超えたもっと深い本心の自由を、真実
の自由思想というのです。この真実の自由思想は、守護の神霊への全託から生まれてくるのです。

心配する出来事があったら、良いほうへ良いほうへとばかり安易に考えないで、その心配を解決す
るために常識的に対処できることは、裏の裏の裏まで気を配っておいて、「準備万端ととのえる」
「人事を尽くす」「細心にして大胆となる」という言葉を実行することが必要です。私は「神さま
に守られている」と信じておりますが、万一を心配して自動車の損害保険に加入しております。そ
のように心配することがあったら、その心配する問題を解決するために、できることをしておき、
神さまのご加護を祈りますと、より安心できるものです。そして尚、心配する想念が出てきたら、
「神さまのみ心のままになさしめたまえ。世界人類が平和でありますように」というように「世界
平和の祈り」の中へと入れてしまえば良いのです。そうしておりますと、悲しい想いも暗い想いも
守護の神霊の光明によって浄められてゆき、自分の心がしだいに光明化してゆくのです。他力行で
ある神さまへの全託行は、自力のプラス思考や積極思想よりも、はるかにすぐれた方法なのです。


人類の起源と未来
No.233 森島恒吉    1999/04/02 (金) 02:35 富士宮市
世界人類が平和でありますように
A.
人類の起源については、科学的に証明できることではないので、たとえ私が一つの説を唱えたとし
ても、世間に信用してはもらえませんから、とりたてて発表するつもりはありませんが、私の推測
を求められれば、次のようにお答えしたいと思います。

地球は約46億年前に生まれたといわれますが、それでは地球人類は、いったい、いつどのように発
生したのでしょうか? 地球人類の発生は、今から30万年前から40万年前とされていますが、ダー
ウィンの進化論のように、人間はアメーバーや猿から進化したものなのでしょうか。

動物が環境によって、しだいに環境に順応した能力を身につけていったり、形態を変化させてゆく
のは知られています。しかし、どう考えても、「アメーバーが人間になった」という進化論は、完
全には納得できません。地球の歴史が記録されるようになったのは、ここ2000年ですが、この2000
年の間に、「飼っている猿が、人間に進化した」という話は聞いたことがありません。猿は2000年
たっても猿であって、猿以外の何物でもありません。人間には、猿のように尻尾がついていたから
猿から進歩したという説も、それだけでは人間と猿が同一であった、とはいえません。

人間と猿とは、初めから違う生物として存在していた、と私は思うのです。猿は被創造物の動物で
あるのに対して、人間は神の分身として、宇宙を創造する生命を持っているのです。つまり、人間
は、初めから現在のような姿をしていたのであり、猿のような姿をしていたわけではないのです。

では、どのように、この地球上に人類が現れたのかと申しますと、今から数十万年前に、他の惑星
に住んでいた人類の一部が、地球を開拓する使命をおびて空飛ぶ円盤で飛来してきた人々と、神霊
界と肉体界を自由に行き来できる霊人が肉体をまとって肉体界に住み着いた人々、の二種類の人類
が、地球人類の起源と思われます。地球に肉体を持った人類が住むようになったのは、一度の移住
だけではなくて、数万年にわたって、移住が行なわれたものと思います。

日本の古事記には、天津神(あまつかみ)と国津神(くにつかみ)の話が出てまいりますが、この漢字
の津(つ)というのは、「〜の」という意味で、天の神、国の神という意味なのです。この国津神と
いうのは、現在のような国のことではなく、地球の大地すべてをさして、国といっていて、地上に
いる神という意味なのです。ですから、アメリカの国津神、日本の国津神、中国の国津神、といっ
た表現は誤りであって、現在の国々を各々守る守護神をいうなら、アメリカの国土神、日本の国土
神、中国の国土神と言わねばなりません。

国津神というのは、古くから地球に住み着いていた人類をさし、天津神というのは、他の惑星に住
む人類や神霊界に住む霊人をさしているのです。そして、初めの頃は、国津神と天津神との交流が
頻繁にあったのですが、肉体という粗い波動を身にまとい、肉体界に生活しているうちに、しだい
に微妙な神霊波動を失って行ったのです。しかし、それも神の計画の一つであって、波動のゆるや
かな肉体界においても、神界のような理想の世界を作りあげようと、地球人類は、数万年にわたる
進化の道をたどり始めたのです。

「世界平和の祈り」が授けられた現在では、もうすでに地球は平和を実現することがきまっている
のです。西暦3000年頃には、「世界平和の祈り」が地球上に広まって、地球の平和は確立されてい
ることと思いますが、私たちはその頃まで生きては居られませんから、私たちは「平和世界に住む
幸せ」を味わうことができないのか、というと、そうではありません。「世界平和の祈り」を祈り
ますと、時空を超えて、私たちの心は数千年先の未来へとトリップできるのです。

私は常に「世界平和の祈り」を祈っておりますから、1999年の今に肉体はありますが、心は数千年
先、数万年先の人類の未来にある平和な世界に住んでいるのです。これを「永遠の今に住む」とい
うのです。ですから、「世界平和の祈り」はありがたいのです。


集団で「世界平和の祈り」を祈りましょう
No.235 森島恒吉    1999/04/02 (金) 03:26 富士宮市
世界人類が平和でありますように
A.
NATO軍によるユーゴスラビア攻撃を、テレビのニュースで見ますと、「世界平和の祈りは効果があ
るのだろうか?」と疑問がよぎるのは無理もありません。各地の紛争や戦争は、おできと同じよう
に、潜んでいた争いの想いが、消えてゆく姿として現れてきたものなのです。そこで、私たちが少
しでも戦争をなくそうと、懸命に「世界平和の祈り」を祈っているのですが、数千年にわたる業想
念の蓄積がありますから、そう容易には消えてはいかないのです。しかし、表面的にはなんの変化
が見えなくても、「世界平和の祈り」は人類の潜在意識層を確実に浄めているのです。あとは時間
の問題だけなのです。それを信じて下さい。

それから、「世界平和の祈り」は一人で祈るよりも、集団で祈るほうが、個人の霊性開発の点から
も世界平和を促進する意味からも、より効果が高まります。「世界平和の祈り」は個人でも祈って
もいいですし、集団で祈っても、なんの違和感もありません。「世界平和の祈り」は集団の祈りと
して最もふさわしい祈りになっております。機会があれば、家族と共に「世界平和の祈り」を祈り
同志とともに「世界平和の祈り」を祈るとよろしいでしょう。

人間というのは不思議な生命で、集団となりますと、その集団が一つの生命体となり、個人の力で
はなし遂げられない大きな力を発揮するのです。「世界平和の祈り」の同志が集団となって祈りま
すと、個人で祈る時の数千倍数万倍の霊性開発の効果があり、世界を平和にする光明力を発揮する
のです。個人個人がバラバラで祈っていても、さして効果はありません。これからは、心を一つに
して、「世界平和の祈り」を合言葉として、善人が集団となって立ち上がるのです。二人でも三人
でもいいですから、祈りの同志を作って、集団で「世界平和の祈り」を祈ることをお勧めします。
集団で祈りますと、「世界平和の祈り」の力が、本当に実感できるようになります。


かわいい人、かわいくない人。
No.238 森島恒吉    1999/04/04 (日) 16:42 富士宮市
世界人類が平和でありますように

先日も少し書きましたが、女性の優しく柔らかい感性の随筆は、男の私には書けないものです。
まして、「世界平和の祈り」を祈る女性の随筆は、読む人々の心に温かい感動を与えてくれます。
ふりかえってみると、「世界平和の祈り」を祈る女性はたくさんいるのに、昌美先生の本は別とし
て、ふつうの女性が信仰生活をつづっている随筆は一冊もありません。

ここで書いて下さったTさんやHさんは、「ふつうの人でありたい」と自分に正直に生きて
います。できないことは「できない」と言い、疲れたときは「疲れた」と言い、腹が立ったときに
は、「腹が立った」と言い、悲しいときは「悲しい」と言い、悩んでいる時は「悩んでいる」と言
い、うれしいときは「うれしい」と無邪気に喜びます。それでいて、悪い出来事もいやな想いも、
すべて「消えてゆく姿」と信じて、守護の神霊に感謝し、「世界平和の祈り」を祈っていらっしゃ
います。そのように自分に正直で、素直に守護の神霊に感謝して、「世界平和の祈り」を祈ってい
る人を、神さまは、とても可愛く思われ愛されるのです。

この反対に、できそうもないことを「私はできる」と言い、「私にできないことは何も無い」と言
い張り、疲れても、決して「疲れた」とは言わず、「私は無限に元気である」と宣言し、心の中で
は怒っているのに、顔では笑って見せ、「あいつは嫌なやつだ!」と心の中では嫌っているのに、
「あなたは神である」と合掌して見せ、親が死んでも「私は悲しくない」と悟った人に見せかけ、
自分一人高見に立って、「悪も病気も不幸も無い」と世界の情勢がどうあろうと「われ関知せず」
と現実から逃避して、民衆の苦悩を感じようとさえしない。そして、未だ神の子としての本体を完
全に現してはいないのに、「すでに私は神である」と傲慢にふるまい、「私は神であるから、守護
の神霊に頼む必要はないのだ」と守護の神霊を一言も呼ぼうともせず、「世界を平和にするのは、
守護の神霊の力ではなく、自分の内部神性の力によってのみ可能なのだ」と守護の神霊に加護を祈
ることさえしない。感謝しても、心からの感謝ではなく、形式的感謝行にすぎない。こういう人を
神さまは、かわいくない人として、愛されないのです。

こう言うと、「神さまは愛であるのですから、すべての人を平等に愛し、神さまにとって、かわい
い人と、かわいくない人と、分け隔てすることはないのではありませんか?」というご質問が必ず
出てくると思います。もちろん、神さまは愛であり、すべての人間はご自分の子供なのですから、
すべての人間を愛していることには違いありませんが、神さまがいくら人間に生命の光明を送ろう
としていても、人間側のほうで神さまのみ心に波長を合わせない人は、神さまはその光明を送りに
くくなってしまうのです。「私には内部に神があるんだから、外部の守護の神霊なんか頼まない」
と思っている人には、その想念にさえぎられて、神さまの光明が届きにくくなってしまうのです。
こういうときの神さまのみ心を、人間的な言葉でわかりやすく説明すると、「かわいくない人」と
いうことになるのです。

それに対して、正直で、反省力があり、偽善者ぶらず、謙虚で、不完全なことはすべて消えてゆく
姿と観じて、守護の神霊に常に感謝する、しかも「世界平和の祈り」を祈っている人には、神さま
は光明を流しやすいので、神さまにとっては、とても楽なのです。そういうときの神さまのみ心を
人間的な言葉でわかりやすく説明すると、「かわいい人」ということになるのです。

TさんやHさんは、小さな子供の頃から、「世界平和の祈り」を子守歌のように聴いて育っ
ただけあって、自然に「守護霊さま、守護神さま」と守護の神霊に呼びかける習慣がついていて、
当たり前のように「世界平和の祈り」を祈っています。なんと素晴らしい生き方でしょう!
神さまは、このように正直で謙虚で力まずに「世界平和の祈り」を祈っている人を、可愛い人と思
われるのです。それだけではありません。「素直なこの子を助けてあげよう!」と、多くの善霊が
寄って来て、守護霊となり、その人の運命が良くなるように、力強く守り導いて下さるのです。

TさんやHさんのような素晴らしい文章は、貴重です。今後、TさんやHさんのよう
な方々の随筆がたまったら、「世界平和の祈りを信仰する女性の生き方」を世に知らせるために、
ぜひ出版させていただくつもりです。といって肩を張らず、今まで通り、気楽に書いて下さいね。
もちろん、女性に限らず、良い文章があったら、たまった時点で出版させていただくつもりです。
そういうわけですから、皆さまからの活発なご意見ご感想を、楽しくお待ちしております。


楽しい夢を見られる日まで、あなたの幸せをお祈りします!
No.240 森島恒吉    1999/04/06 (火) 01:11 富士宮市
世界人類が平和でありますように
[お答え]
あなたのお気持ちは、よくわかります。もう思い出したくない、忘れてしまいたい、だけど夢には
その悲しい出来事がくりかえし現れてきて、そのたびに暗い気持ちにさせられてしまう。せめて、
寝ている間の夢くらいは楽しい夢を見たいのに、自分の思う通りにならなくて、見たくない嫌な夢
を見てしまう。これはほんとうに辛いことだとお察しします。

夢については、あなたもご存じと思いますが、潜在意識にある業想念が、表面の行動に現れないよ
うに、守護霊さまが、夢の中で戯画化して消滅して下さっているのです。人間が一度発した想念は
善悪にかかわらず、いつかは回り回って自己の運命として還ってくるのですが、人間は良いことを
思うよりも悪いことを思うほうが多いのですから、思ったことすべてが現実になったら、たちまち
人間の世界は、野獣と同じ争いの世界と化し、人類は滅亡してしまいます。そこで守護霊さまは、
人類に悪い運命が現れないように、悪い想念を幽界において夢として消して下さっているのです。

業想念は、形となって現れれば消えるのが、法則だからです。幽界において悪夢として現れますと
その分だけ悪い事柄は消えたことになり、現実の肉体界には現れなくなるのです。悪い夢は悪い夢
であって、良いわけがありませんが、夢となって悪い事柄が消えたことが良いわけですね。過去世
からの想念波動と、肉体頭脳に今日まで体験として残っている想念波動を、霊魂が眠っている間に
守護霊さまが幽体に描き出して消滅させている現象を、夢というわけです。このように守護霊さま
は、被守護体の運命を良くしようと、肉体界に悪い出来事が現れないように、幽界において夢とし
て悪い想いを果たさせてしまい、未然に防いで下さっているのです。

夢として現れた出来事は、同じような戯画化されたものであっても、実はその内容は、その時々に
おいて異なった想念を組み合わせたものであり、同じ夢を毎晩見たとしても、その内容は別々の業
想念が、同じ形の夢として現れて消えてゆくのです。夢を見ても、たいていの場合は目覚めると、
すぐに忘れてしまうものですが、「こんな夢を見た」と夢のストーリーを覚えている場合がありま
す。その場合、その夢を思い出したことによって、再びその想いが潜在意識に入ってしまうのかと
いうと、その夢の思い出は潜在意識には入りませんから、ご心配はいりません。

守護霊の力をもってしても、幽界の世界で業想念を消し得ない場合、大勢の祈りの力や、霊性のす
ぐれた人の祈りの力で、その不幸を軽くしようとして、予知的に悪夢を見せる場合もありますが、
今日までは、そうした予知を受けても、その不幸を軽くし得るような祈りの方法がゆきわたってい
なかったので、予知がそのまま予知通りに現れることが多かったのです。しかし、今まででも、夢
の予知を受けて、災害を未然に防ぎ得た人もいくらかはいたのです。

皆さんのように、「世界平和の祈り」をなさっている方々は、どんな予知的な夢を見ようと、どん
な悪夢を見ようと、その夢の内容ごと、「消えてゆく姿」と思って、「世界平和の祈り」の中に入
れてしまいさえすれば、悪い予知も悪い夢の出来事も、実現せずにすむことになるのです。善念波
動のうちでも、「世界平和の祈り」は、最も神さまのみ心にかなった光明波動なのですから、「世
界平和の祈り」を祈っていさえすれは、いつしか悪夢は消え去ってゆき、悪い出来事が現実に一つ
も起こらなくなってきて、明るく楽しい人生が開けてくるのです。

お姫さまの場合は、「世界平和の祈り」をすでに知っていて、「お祈りの中に入れる」ということ
も知識としては知っているのですが、現実には「嫌な想いが全然消えない」ように感じているよう
です。そこで、五井先生から直伝で授けられた黄金の秘法を、あなただけに、こっそり教えてあげ
ましょう。他の人に、この方法を、やたらに話したり、教えてはいけませんよ。この秘法は、私が
大悟した唯一の方法であり、教えるのがもったいなくて、今まで公開したことがないのです。わか
らない人に言っても、わからないでしょうが、あなたならば、きっとおわかりのことと思います。

五井先生から直伝された黄金の秘法とは、「神さま、お願いします」という祈り言です。この一言
で、私は直観的にすべてを悟り、五井先生の教義のすべてを理解できるようになり、それ以来、神
のみ言葉が泉のわき出るがごとく、すらすらと出てくるようになったのです。お姫さまの場合も、
これを応用して、寝る前に、「守護霊さま、楽しい夢を見させて下さい。守護霊さま、よろしくお
願いします」と守護霊さまにお願いするといいのです。「守護霊さま、お願いします。守護霊さま
お願いします…」とお祈りしますと、守護霊さまの浄めの光明が、あなたに伝わりやすくなって、
あなたの業想念を消しやすくなりますから、前のように嫌な夢を見る回数は、だんだんと減ってき
て、楽しい夢ばかりになってくるのです。

辛く悲しい嫌な出来事を、電子メールで私に話して下さい。私に話せば、きっと楽になりますよ。
それから、嫌な夢を見たら、そのたびに、その夢の内容を書いて、私に電子メールを下さい。私
が、あなたのために特別にお祈りさせていただきます。あなたが、すてきな夢を見られる日まで、
私はあなたの幸せを祈りつづけることを、ここにお約束します。だから元気を出して下さいネッ。

あなたが幸せでありますように。
あなたが幸せでありますように。
あなたが幸せでありますように。(^_^)


感情のままに行動すると…
No.246 森島恒吉    1999/04/07 (水) 11:36 富士宮市
世界人類が平和でありますように

晶さん、ありがとうございます。晶さんの霊性が開けてきたのを喜んでおります。晶さんのおっ
しゃっていることは正しいのですが、誤解を避けるために、少しだけ補足させていただきます。

感情が現れるにまかせ、自分の感情をコントロールするのをやめたら、赤ん坊が気ままに泣き叫ぶ
のと同じで、周囲に人がいる場合は、常識をもった大人は恥ずかしくて泣き叫ぶことはできません
し、もし赤ん坊のようにふるまったら、職場では許されませんし、働いてゆけません。

未熟な少年のように、感情のおもむくままに腹が立ったといって、感情のままに学校の窓ガラスを
割ったり、先生を殴ったり、上司を殴ったりするわけにはいきません。本人は感情のままに行動す
るのですから、気が済むかもしれませんが、周囲は迷惑してしまいます。

感情を抑圧したら、晶さんのおっしゃるように、潜在意識にますます積み重なって、病気になった
り、爆発してしまう。だから、感情を解き放つ必要があります。これは晶さんのおっしゃる通りで
正しいんです。しかし、だからといって、感情のままに行動してしまったら、最近の野村さちよさ
んのように、威張りたい放題、怒鳴りたい放題、殴りたい放題では、本人はさぞかし気持ちいいで
しょうが、周囲が迷惑してしまいます。(ここまで配慮して、説かねばならないんです)

そこで、自分の潜在意識に感情を抑圧しないで、しかも、感情のままに行動して周囲にも迷惑をか
けずに、感情を解放するには、「世界平和の祈り」の中に入れてしまうのが、自分にとっても、周
囲の人々にとっても、一番いいということになるんです。それでも、自分一人で感情を鎮めること
が難しかったら、遠慮なく私のような先達にお祈りの応援をしてもらうといいのです。

晶さん、私が忙しい時には、私の代理でお答えできるようになって下さいね。私は晶さんに期待し
ていますよ。五井先生の本をよく読んで、ますます霊性を開発して下さい。


私たちには「世界平和の祈り」がすべてなのです!
No.250 森島恒吉    1999/04/09 (金) 01:07 富士宮市
世界人類が平和でありますように

お姫さま、こんばんは。今日はいつもよりも遅かったですね。同い年の女性の方から励ましとアド
バイスのメールをいただいたそうで、良かったですね。私からも、その女性にお礼申し上げます。
書き込みはないのですが、"PEACE NIFON"を毎日のように読んで下さる方が、最近は多くなりま
して、うれしく思っております。お姫さまのように、かわいい文章を書く女性が登場されたことに
よって、この"PEACE NIFON"も華やかになり、若い愛読者もぐんと増えたようです。お姫さまの
文章は、今のままでいいんです。今のありのままのあなたが、私は好きなんです。

ふつうは、日曜日に道場に行って、講師のお話を聴いたり、お祈りをしたら、すぐに自宅に帰る、
というパターンが多く、横に交流する機会が少ないものなんですね。お互いに本音で話しあえて、
お互いの考え方が違っていても、お互いに尊重しあえる法友がいたら、最高に楽しいでしょうね。
でも実際には、自分の考えを相手に押しつけて、相手を自分の考えと同じ人間にしようとしたり、
どんなに説得しても相手を説得できないとわかると、急に冷たくなって、その相手を避けたり、相
手を危険視して、遠ざかろうとする人が多いものです。

愛と寛容を教える宗教をやっている人が、案外、熱心なあまりその宗教に把われて、狭量になった
り、排他的になることも多いんですね。宗教をやればやるほど、本当は誰とでも調和できるように
ならなくてはならないのに、宗教宗派が異なると、もうそれだけで、会話もかわさない、という宗
教者が、まだまだ多いのが現状です。

私たちは、お互いの主義主張や信仰を尊重し、信仰をすでに持っている人は、今の信仰のままでい
いから、心を一つに「世界人類が平和でありますように」と祈りましょう、と世界の人々に呼びか
けているのです。私たちは、主義主張、宗教宗派、民族国家を超えて、「世界平和の祈り」を人類
の合言葉にしたいのです。数十億人という地球人類も、元をたどれば、一つの生命なのですから、
愛し合えないわけがないのです。神への愛が縦の愛とすれば、人類愛は横の愛でありまして、縦と
横の愛が十字に重なったとき、愛の十字架は光り輝き、地球の平和が樹立されるのです。

この"PEACE NIFON"の愛読者が急激に増えてきた理由も、私たちがひたすら「世界平和の祈り」
を純粋に祈り、どこの誰をも敵視せず、すべての人々を愛していることが、理解されてきたからで
す。「世界人類が平和でありますように」を合言葉にするのですから、こんなに簡単なことはない
と思うのです。私たちの祈りによる世界平和運動には、何一つ資格もいりませんし、難しい行法を
する必要もありません。この課題を達成しなければ、祈りの集会に参加させてやらない、というこ
ともありません。赤ちゃんも、おじいさんも、おばあさんも、若い人も、病人も、外国の人も、他
宗教の人も、すべての人を受け入れて、仲良く一緒に「世界人類が平和でありますように」と祈ろ
う、というのが、私たちの平和運動の精神なのです。

私たちにとって、「世界平和の祈り」がすべてのすべてでありまして、「世界平和の祈り」をやさ
しい誘い文句として使いながら、入会したら、「世界平和の祈り」以外の行法をやらせよう、とい
うような下心を持った不純な汚いやり方は致しません。五井先生の教えには裏も表もありません。
五井先生の教えには、秘伝も特別な行法もありません。五井先生の行法は「世界平和の祈り」がす
べてでありまして、皆さんに秘密にして、「世界平和の祈り」以外の特殊な行法を、自分一人やっ
ているようなことはありません。五井先生も私も、「世界平和の祈り」だけなのです。

「世界平和の祈り」は、悟るも悟らぬもない、悟りそのものの大光明であるのです。「世界平和の
祈り」を祈る行為ほど、尊く崇高な愛の行為はありません。「世界平和の祈り」ほど、世界を平和
にする大きな力となるものは無いのです。「世界平和の祈り」ほど、あなたを真実に幸福にする方
法は無いのです。「世界平和の祈り」ほど、大きな奇蹟を現す方法は無いのです。私は、その事実
を、はっきりと知っているのです。ご一緒に「世界平和の祈り」を祈り続けてまいりましょう。


お姫さまは、祈りのコツをしっかりつかんだね。おめでとう!
No.256 森島恒吉    1999/04/12 (月) 22:06 富士宮市
世界人類が平和でありますように

晶さん、ツボちゃんは、優しくて寛大な方ですから、あまり気になさらなくてもよろしいと思いますよ。
ツボちゃんは、前にも紹介しましたけど、一流会社を定年まで勤めあげた社会経験が豊富な方ですから、
もし、会社や職場で困ったことがあったら、若い人たちは、ツボちゃんに相談するといいですね。

お姫さまは、私の教えた秘法をしっかりと理解してくれて、うれしく思います。
私はこんな不思議な体験をしたことがあるんです。五井先生は「神さま、ありがとうございます」の一言
のお祈りで私は悟った、とよくおっしゃっていたんです。それで、私は五井先生の真似をして、朝から夜
まで、毎日「神さま、ありがとうございます。神さま、ありがとうございます…」と繰り返し唱えていた
んです。それを数年間続けたんですけど、いつまでたっても、五井先生のように悟れないんです。感謝の
気持ちも、少しも湧いてこないんです。「ありがとうございます」と、口先では感謝を唱えているんだけ
ど、形式的な行になってしまって、心の底から感謝の気持ちが湧いてはこないんですね。それで、私は、
「神さま、ありがとうございます」の感謝行をやめてしまったんです。

それから、しばらくして五井先生のお話の中に「神さま、お願いします」という言葉が頻繁に出てくるの
を発見したんです。「五井先生は、お願い事と真実の祈りは違う、と説きながら、なあんだ、五井先生ご
自身では、神さまお願いします、と祈っていたんだ!」と新しい発見をしたのです。

それでね、今度は「神さま、お願いします。神さま、お願いします…」と、この言葉ばかりを繰り返し唱
える行を始めたんです。すると、数日たってからだったかな、不思議なことに、私の口が勝手にしゃべり
始めたんです。私の意識とは関係なく、しゃべり始めたんです。不思議でしょう。その時の私の口から自
然に出てきた言葉とは、どんな言葉だった、と思います?

その言葉は「神さま、ありがとうございます!」という言葉だったんです。

私はこのとき、全身が震えるほど感動したんです。「そうか!そうだったのか!…」と私は、その時、神
我一体になる簡単な秘訣を、しっかりとつかんだのです。この時の体験を、私は「想念波動変換原理」と
名付けて、後で教えるようになったんです。五井先生は、この原理を体験されていて、「想念の転換」と
か「想念の変換」という教えを説いておられたのです。自分の意思力で自分の想念を変換するのではなく
て、神のみ心の中で想念が自動的に変換されるのです。ですから、肉体人間としては、すべての想念を、
神のみ心の中にひたすら投入してゆけばいいんです。そうすると、感謝しようと思わなくても、感謝の祈
りが自然に出てくるんです。これが真実の感謝なんです。

それからも、形式的な感謝行を一切やめてネ、「神さま、お願いします」と、神さまへの全託行だけを繰
り返していたんです。すると、「神さま、ありがとうございます」という感謝の祈りが湧いてくるでしょ
う。そうしているうちに、気がついたら「神さま、お願いします」という言葉を唱える必要がなくなって
しまって、「神さま、ありがとうございます」の言葉だけが、口から出てくるようになったんです。つま
り、五井先生と同じ心境になってしまったんです。その瞬間に、私はすべてを悟ってしまったのです。

そうした体験から、「守護霊さま、お願いします」という祈り言を教えてあげたんですよ。簡単だけど、
この祈り言を続けてゆけば、誰でもあなたも、もちろん、五井先生のように悟れるんです。そうすると、
五井先生の教えがよく理解できてきて、「世界平和の祈り」の素晴らしさも、よく判ってくるんです。

富士聖地には、もう雪が消えていて、クロッカスの花が咲いています。富士急ハイランドのフジヤマは、
たしか世界一のジェットコースターですよね。お母さんはノリノリだったそうですが、若いお母さんです
ね。富士急ハイランドのジェットコースターを、ハイランドホテルから眺めるときがありますが、私も怖
いですよ。眺めるだけで、充分。そうそう、そういえば、もっと富士聖地に近い「ガリバー王国」って、
行ったことある? 私もまだ入ったことがないんだけど、北欧ふうの建物があって、北欧の食べ物が食べ
られるんだって。機会があったら、一緒に遊びに行こうね。

守護霊さま、かわいいお姫さまを、どうぞ守ってくださいね。よろしくお願いしま〜す。(−人−)
守護霊さま、お姫さまが、可愛い赤ちゃんを産めますように。(オット、その前に)
守護霊さま、お姫さまの天命が完うできますように、善き配偶者をお授け下さい。(・_-)

守護霊さま、よろしくよろしくお願いしま〜す。ネッ…。_(._.)_
守護霊さま、ありがとうございます。\(^o^)/ バンザ-イ


世界平和のために働こう!
No.259 森島恒吉    1999/04/13 (火) 16:35 富士宮市
世界人類が平和でありますように

ツボちゃん、私を応援して下さって、ありがとうございます。ツボちゃんのような社会的信用のある方に
協力していただければ、心強い限りです。今も、会社のサラリーマンというお立場ですから、社内で、宗
教の話やお祈りの話をする必要はありません。会社にいる時には、会社の仕事に専念し、勤務を終わって
からは自由ですから、時間があったら、世界平和のお祈りをする、という程度でかまいません。

現在の唯一会のメンバーは、まだ人数が少なく、しかもメンバーが全国に散らばっていまして、定期的に
集会を開いてお祈りをする、という段階に至ってはおりません。まだまだ先のことですが、いずれ人数が
増えれば、東京で集会を開きたい、と思っております。

インターネットで私にメールを下さった方は、Peace Prayer Familyとして登録しておりますが、この
方々の中には、私の考えに全面的に賛同して下さる人も含まれていますし、私に好意を持ちながらも、白
光真宏会の方針にも従う、という人も含まれておりますから、唯一会のメンバーとは区別しております。
また、Peace Prayer Familyの方々には、唯一会のメンバーになるように強制してはおりません。

ツボちゃんの使命は、遠く離ればなれになっていても、私と一緒に心を一つにして、「世界平和の祈り」
を祈っていただくことです。ぜひ、よろしくご協力ご支援のほどを、お願いいたします。

晶さんは、私から離れずに、ずっとこの"PEACE NIFON"を読み続けていて、良かったですね。私が秘法
を明かしたのは、私についてきてくれた、皆さんへの「ごほうび」なんです。晶さんの本心は、急速に開
発されることでしょう。「世界平和の祈りが究極の行であるんだ」と心から理解して、私と一緒になって
「世界平和の祈り」を声を大にして、世界に広めて下さることを、切に願っております。

世界を平和にするには、愛と勇気が必要であるのです。今、世界平和のために働かなかったら、もう働け
る時など、ありません。いつ、世界平和のために働くんですか?世界が滅びてしまったら、働くにも働け
ないではありませんか?みんなが、自分の幸せばかりを考えていたら、世界は滅びますよ。自分の真実の
幸せを得ようと思うならば、今こそ世界に目を向け、世界平和のために全力を尽くして働く時なのです。

「世界平和の祈り」は誰がどんなことを言おうと、最高の祈りなんです。これ以上の行法は無いのです。
その真実を信じて、うまずたゆまず「世界平和の祈り」を祈り、一人でも多くの人に「世界平和の祈り」
を広めて下さい。これが五井先生の願いであり、神々の願いであるのです。


「世界平和の祈り」は永遠の祈り言
No.262 森島恒吉    1999/04/14 (水) 21:42 富士宮市
世界人類が平和でありますように

Tさん、ありがとうございます。五井先生の教えの特長の一つは、教義もお祈りの言葉も、わかりやすい
現代語で書かれていることなんですね。これは、なんといっても私たちにとっては、有り難いことなので
す。他の宗教を研究しますと、新興宗教と言われている宗教団体の教えも、浅い歴史を補うために権威を
つけようとして、この現代の時代に、わざわざ、もったいぶった古い言い回しを使ったり、難しい言葉を
使ったり、漢文を使ったりしている宗教団体が多いのです。平成の今の時代に、平仮名がなかった漢文の
時代の表現を使ったり、古事記の時代の表現を用いることはないのにねえ。どうして、現代語のやさしい
表現で、お祈りしてはいけないの?現代語では、神様に通じない、と思っているんでしょうかね。

古い歴史のある宗教では、古い言葉を使っても、それは結構なんですよ。たとえば、キリスト教は二千年
も前に現れた宗教なんですから、言葉が古くても、それは当たり前で、そのほうが自然なんです。ですか
ら、聖書は、文語訳聖書のほうが、現代語訳聖書よりも、格調が高く、ひびきも美しいので、ずっといい
んです。現代語訳では、高い格調が出せないんです。仏典の場合も、漢文の音読みや梵語で読むと、なん
ともいえない深い味わいが感じられるものです。「ナムカラタンノウタラヤアヤア」「オンバラダハンド
メイウン」なんていう梵語も、ふつうの人には、さっぱり訳がわからないで聴いているんだけど、なんと
なくご利益があるように感じられる。神道もそうですね。「祓いたまえ、清めたまえ、守りたまえ、幸
(さき)わえたまえ〜かしこみかしこみ、も〜まう〜す〜」という祝詞を聴いていると、古代の平安な時
代に戻った気分がするものです。だから、古い歴史のある宗教は、言葉が古くてもそれが自然なんです。

でも、現代に生まれた宗教は、現代人を救う目的で現れたんだから、現代語で教義を書くべきであるし、
お祈りにしても、現代人にわかりやすい現代の言葉で書かれるべきなんです。言葉がむずかしくてわから
ないと、すべての人を救うことはできません。仏教学者のように、難しい言葉を一生かけて翻訳している
ような、そんな悠長なことをやってられないんです、一般大衆は。ですから、現代に現れた五井先生の教
義と「世界平和の祈り」は、幼児でもわかる、誰にでもわかりやすい現代語で書かれているのです。しか
も、奥が無限に深くて、どこまで行っても、計り知れないほど、深い深い境地がどこまでも無限に続いて
いるんです。この教義とお祈りは、最初で最後の真の教えとして、五井先生を通して、大神様から授けら
れたのであって、最終の教えなのですから、もうこれ以上の教えは、二度と現れないんです。それを思い
ますと、「五井先生は、なんという偉大な宗教者なんだろう!」と感嘆せざるをえません。

「世界人類が平和でありますように」というたった一言の祈りの中に、仏典の空の奥義も、聖書の愛の精
神も、すべての過去の宗教の教えが、言い現されているのです。すべての宗教の深い意味が、理解できて
きて、すべての宗教の教祖のお心が、現代によみがえって来るのです。そして、今では過去からのすべて
の聖者が「世界平和の祈り」に結集してまいりまして、「世界平和の祈り」を祈る人の所には、必ずその
大光明霊団が霊光を放射して下さり、世界を平和にすると同時に、祈る人自身の神性を開発し、より善き
運命へと導いて下さるのです。現代には、現代にふさわしい祈り言を祈るのが、一番いいのです。

今に見ていてご覧なさい。古い言葉や古い言い回しに固執している新興宗教団体は、今は現世利益を宣伝
して信者を集め隆盛を誇っていても、しだいに伸び悩み、だんだんと信者が減ってゆき、ついには消えて
ゆく運命にあるのです。百万人以上の信者数を誇っている宗教団体も、「世界人類が平和でありますよう
に」という祈りを理解できなければ、いずれは消えてゆくことになるのです。私は、他の宗教団体の悪口
を言っているのではありません。将来の宗教界の予言を述べているのです。宇宙神のみ心に合わない古い
波動は、新陳代謝のように、おのずと消えてゆくのは、法則として定まっていることなのです。

それでは「世界平和の祈り」も、一千年後、一万年後には、やはり古くなって、使い物にならないのかと
申しますと、そうではないのです。「世界平和の祈り」は最後の祈りなのですから、一千年後も、一万年
後も、現代と同じく生き生きと使われる祈り言であるのです。「世界が平和になったら、もう世界平和の
祈りも必要なくなるんじゃないの?」と思う人もいるでしょうが、この地球界で平和が確立した後も、こ
の「世界平和の祈り」は永遠に使われてゆくんです。なぜならば、「世界人類が平和になりますように」
ではなく、「今から永遠に、世界人類が平和でありますように」という意味の祈りであるからです。


一度すべてを明らめて、神さまに全託しよう!
No.263 森島恒吉    1999/04/15 (木) 02:16 富士宮市
世界人類が平和でありますように

お姫さま、唯一会のことをほめて下さって、ありがとうございます。うれしいです。お姫さまは、明るく
て聡明で正直で美しい心を持った、本当に可愛い女性ですね。あなたは「自分のことしか考えていない」
とおっしゃっていますが、それでよろしいんです。ここは、ふつうの人たちが悩みを打ち明け「世界平和
の祈り」をお祈りする場所なんですから。ふつうの感情を持っているからこそ、あなたの文章は、ほかの
人たちに共感を呼び、知らず知らずに、多くの人に勇気を与え、多くの人の信仰心を深めているのです。

お祈りしていると、たとえば火傷の痕も治ってしまうのかというと、真理からいえば、お祈りすれば、火
傷だろうと、ハゲだろうと、虫歯だろうと、色黒だろうと、盲目であろうと、エイズであろうと、ガンで
あろうと、どんな病気も治ってしまうと、言えるんです。祈りによって治らない病気は、無いんです。そ
の真理を示したのが、イエスキリストであったのです。イエスの霊的な治癒力は、それはそれは素晴らし
いものであったのです。だけど、それは人類に希望を持たせるために、一時的に真理を現実の出来事とし
て見せて下さったのであって、現実には真理が完全に現れる時期に至っていないので、すべての病気が一
瞬にして治るとは、まだ言い切れないんです。

ホクロのような小さなものならば、現在の医学ではレーザー治療できれいに治療することが可能ですが、
お祈りによって火傷の痕を治す、ということは、あり得ないことではないのですが、現在は不可能と言わ
ざるを得ません。皮膚移植の手術もありますが、それでも元通りきれいにするというのは、現在のところ
不可能のようです。いずれは、霊医学の発達によって、どんな病気も治すことができるようになるのです
が、それはまだまだ先の話であるのです。この点は、誰だって正直な人は、不満に思うのは当然です。

私が小学生の頃、夏休みで、母親の実家(葛飾区お花茶屋の近く)にいた時ですが、広い座敷を走り回っ
てから、土間に下りようとして、座敷の端の一段低い縁側に置いてあった、炭の入ったコンロとその上に
かけてあったヤカンに足を取られて、私は土間にころがり落ちてしまったのです。

その時、私は半ズボンをはいていたと思いますが、やかんの熱湯が、私の両足の太股にかかり、熱湯のあ
ふれた土間で、私は大変な苦痛で転げ回りました。どのくらいたったのか忘れてしまいましたが、親戚の
人に助けてもらい、気がついたら、ふとんに寝ておりました。その時に、私は一生消えない大きな火傷の
傷跡を、太股に残すことになったのです。小さな子供が、不注意からケガをしたり火傷をするということ
は珍しくなく、私と同じように大きな火傷をした人を見ると、私は自分のことのように同情するのです。

白光真宏会の会員で、もうずいぶん前に、若くして病気で亡くなった女性がいましたが、その女性は、顔
の半分が火傷でただれていて、その理由を詳しく詮索することはしませんでしたが、若くて年頃の女性な
のに、男性と恋もできず、それでもけなげに、大勢の人の前に自分の顔をさらすことをいとわず、聖ヶ丘
道場に熱心に通って来て、お祈りをされていました。顔がそのような状態でしたから、誰もつきあう男性
はいなかったのですが、その女性の心は、とても優しくて思いやりが深くて、美しい心であったのです。
過去世の因縁や先祖の業の消えてゆく姿とはいえ、彼女の心を思いますと、切ない気持ちがします。

「ほかの女の子たちは、男の子と明るく楽しく交際しているのに、なぜ、私だけがこんな醜い顔になって
一つの恋もできないのか。神さまは、なぜ、治してくれないんだろう、早く治してくれればいいのに」と
神さまを恨みたくなってくる気持ちも、私にはよくわかるのです。

いつになったら、ほとんどの病気が治るようになるのか、と申しますと、だいたい西暦3000年頃からだと
私は予測しております。少なくとも、この50年や100年では、医学の完成には至らないのです。つまり、
それまでは、私たちは「あきらめる」しかありません。一度、すべてをあきらめるんです。すごく消極的
なことですけど、あきらめるほか、ないんですね。一度、あきらめなければ、よけい苦しくなって、苦し
くて苦しくて、たまりません。奇蹟を待っていると、だんだん苦しくなってくるんです。五井先生は、
「諦(あきら)めるとは、明(あき)らめることである」と教えて下さっています。今できないことは、
どんなに力んでも、できるものではありません。できないことはできない、と明らめて、できることを数
え、できることを考え、できることをやるように、するのです。

「守護霊さまのみ心のままになさしめたまえ」と、一度、自分の運命をすべて守護の神霊にお任せして、
改めて、神さまから生命を頂き直して生きることにするのです。あきらめようとしても、そう簡単にあき
らめられないでしょう。あきらめられないままでいいから、「守護霊さま、お願いします」とひたすらお
祈りすることです。そうしていると、「そういえば私はこんな悩みがあるけれど、盲目の人に比べれば、
目は見えるし、耳の聞こえない人に比べれば、音楽を楽しめる聴覚があるし、口のきけない人に比べれば
自由におしゃべりを楽しむこともできる。足の不自由な人に比べれば、私は自由にどこへでも歩いて行く
ことができる。海外から密航までして、日本に住みたいとやってくる人がいる。その人たちに比べれば、
私はなんの苦もなく、日本人として日本に住んていられる。なんだ、私には、まだまだ、できることが、
たくさん、あるじゃないか!私は、まだまだ、幸せなほうなんだ!」と気づかされるでしょう。

あなたの悩みが、たとえ解決しなくても、守護霊さまに祈り続けていれば、あなたの姿を見て「あの人は
なんて魅力的な女性なんだろう!」と、あなたのありままのすべてを抱擁してくれる男性が、必ず現れる
ことでしょう。守護霊さまに、常に加護を祈り、感謝し、「世界平和の祈り」を祈っている人は、言葉で
は言い表せない美しい雰囲気がただよってくるのです。その魂の美しさが、肉体のすべての欠点を覆い隠
してしまうのです。こんな女性を、雰囲気美人と言うのですね。よく見ると、ブスなのかもしれないけど
美しいお祈りを常にしていて、美しい言葉を語っている女性は、男の目から見ると、美しい女性に見えて
くるんです。そして、あなたの場合には、「あなたのそんな悩みなんか、ぼくは気にしないよ」と言って
くれる男性が、必ず現れるのですから、心を美しくすることだけを考えていたらいいのです。

今の時代の人間は、完全な人間など、一人もいないのです。表面的に見て、恵まれている人に見えても、
この世に生まれてきた人間は、何かしら欠点があり、欠陥があるものです。不完全な欠点を浄めるために
この世に生まれてくるからです。ですから、お互いに欠点を赦しあい、お互いの長所を見つけながら、愛
し合ってゆくことが必要です。長所を高めてゆけば、欠点があっても、その欠点は小さくなって見えなく
なってしまいます。あなたは「世界平和の祈り」を祈ることができる、という素晴らしい長所を持ってい
るのですから、その長所を伸ばしてゆけば、欠点に悩む想いも、いつしか消えてゆくことでしょう。悩ん
だら神さまに祈り、また悩んだら神さまに祈る。悩みつつも神さまに祈り、「世界平和の祈り」を祈って
ゆく、そうしたあなたの生き方は、多くの人々の心を慰め、信仰心を高めてゆくのです。

あなたが幸せでありますように


常識を外れずに常識を超える生き方
No.264 森島恒吉    1999/04/17 (土) 05:08 富士宮市
世界人類が平和でありますように

先日、別荘地のオーナーの総会で、隣の席に座った年配のご婦人とご挨拶して、名刺を交換したのですが
ご婦人がご自宅に帰って私の名刺の裏を見たら「世界人類が平和でありますように」と書いてあったので
そのご婦人は「同じ五井先生の信徒と知ってビックリいたしました」と私に連絡して下さり、昨日私と会
うことになったのでした。

そのSさんは、白光真宏会の十年以上の会員で、70歳過ぎのご婦人ですが、草月流の師範理事だけあって
とても上品で優雅な方です。Sさんは、「五井先生は好きで、毎日、世界平和のお祈りをしておりますが
白光の人たちとは気が合わないので、白光の集会には行かず、一人でお祈りしているんです。私と同じ感
覚を持った森島さんのような人が、白光にいたなんて、ほんとうに不思議です。森島さんのような人は、
私は初めてお会いしました。この出会いは、五井先生のお導きですね」とおっしゃって、次のようなこと
をお話されました。

「草月流の蒼風先生が亡くなりまして、私は昔の人間でございますから、一人の師だけにしかつかないん
です。それで、山の中が好きで、都会の嫌いな私は、友人の紹介で富士宮に引っ越して来たんですが、十
一年ほど前に、やはり友人の紹介で、白光を知って、富士聖地にも時々行っておりましたが、五井先生の
統一のテープはいいのですが、昌美先生の命令口調やヒステリックなお話が嫌になって、まもなく行かな
くなり、今は一人で『世界平和の祈り』を祈っております」

「ある日、富士聖地に行きましたら、職員の人が『我即神也』と書いたものを胸につけていたんですが、
陰で人の悪口を言っている職員たちが、何が神であるもんですかね。あんな『我即神也』なんて、言った
り、胸につけている人たちがいる道場の所へ、私は恥ずかしくて、人を紹介できません」

「私は、五井先生のお話は、パッパッパッとわかります。五井先生のテープを聴いても、五井先生のお話
には納得できます。でも、昌美先生のお話は、ときおりヒステリーのようになって、聴いている私のほう
が恥ずかしくなってくるんです。うちの主人なんかは、昌美先生がヒステリーのような話し方をされたと
き、がまんできなくなって、途中から会場を抜け出してしまったんです。昌美先生の言うことに、どうし
てもなじめないんです。もう、感覚的に嫌なんです。私は、五井先生の教えは、わかるんです。でも昌美
先生のお話は、嫌なんです。ですから、私は五井先生の本だけを読み、五井先生のお話のテープだけをお
聴きし、『世界平和の祈り』だけを、毎日お祈りしているんです」

そして、白光の講師職員や会員の人たちと、なぜ、交際しないのか、その具体的な例を話して下さいまし
た。富士聖地で知り合った会員のAさんは、茨城に住んでいて、富士聖地に来るたびにSさんのお宅に泊
まるようになったのですが、Aさんは「お祈りが大事」と言って、一人暮らしで老齢で体の弱いSさんに
食事の支度をさせて、自分は何も手伝わずお祈りばかりしていたそうです。たまりかねたSさんが「民宿
に泊まって下さい」と何度も頼んで、「ようやくこの家を出て行ってくれた」とおっしゃっていました。

「お祈りだけしていれば、あとは何もしなくてもいい」と、Aさんは思い込んでいたようです。こんな非
常識は、世間で通用するはずがありません。祈りの形式に把われた非常識の一例と言えます。人に迷惑を
かけなければ、何をしようと、何もしなくても、かまいませんが、他人の家であるSさんの家に泊まらせ
てもらって、それもSさんがどうしても泊まってくれと頼むならいいですが、半ば強引に泊まって、自分
はお祈りだけをしている、というのは、Sさんも言っていましたが、「ふつうの人以下の非常識な行為」
です。宗教信仰をしている人だったら、ふつうの人以上に、相手のことに気を使うべきなのに、自分のこ
としか考えないのでは、利己的な自我欲望むきだしの生き方であって、誤った信仰態度であるのです。

もう一つの非常識の例は、職員の中では古いBさんのことですが、ある日、Bさんは、Sさんの家に挨拶
もせずに勝手に入り込んで来て、仏壇の前に座って何かお祈りしていた、というのです。それを見たSさ
んが、ビックリするのも無理はありません。他人の家に入る時には、その家の人に一声でも挨拶してから
家に上がるのが常識なのに、いくら自分が白光の職員で、相手が白光の会員であったとしても、そんな傍
若無人の振る舞いをしてはいけません。Bさんは、多くの会員さんから「先生、先生」と持ち上げられて
いるうちに、いつの間にか、傲慢不遜な態度を身につけてしまったようです。Bさんは、そのほかにも、
自分の気に入らない他人の悪口を言いふらすなど、悪口を言う癖もあるようです。他人に迷惑をかけてい
ることがわからない、こんな非常識な人が、白光真宏会の特命導師として、偉そうに会員に教えをたれて
いるのですから、Sさんが、白光の人たちから一線を画したくなった気持ちも、よくわかります。

教祖である五井先生の人格は、間違いなく立派です。五井先生の教義も、正しく立派です。ですから五井
先生の教義を学んでいる職員や講師や会員も、五井先生の心境にまでは行かなくとも、少なくともふつう
の人よりも立派であろう、と白光真宏会に入会したばかりの人は、そう思うわけです。しかし、しばらく
するうちに、職員、講師、会員の実際行動を見るうちに、その教えと実際行為とのあまりの落差に、がっ
かりさせられるのです。

これが現実なのですから、皆さんは、相手が白光真宏会の職員や講師だからといって、あまり期待しては
いけません。悟っていない、ふつうの人と思って、接することです。そうすれば、深入りしすぎて、相手
に心を傷つけられることも防げます。そして、無理に誰とでも仲良くつきあう必要もありません。自分の
好き嫌いをはっきり出して、嫌いな人は嫌いな人、と正直に思って、直感的に好きになれない人からは、
最初から遠ざかることです。そうすれば、あとで嫌な想いをすることもありません。

私は唯一会を率いているわけですが、私を慕って唯一会に入ったら、白光真宏会の会員と同じように、唯
一会のメンバーもみんな非常識の人間ばかりだった、と思われては困ります。ですから、私自身も常に常
識的な言動をするように努めますが、私の弟子になって下さる皆さんも、くれぐれも非常識な言動や奇異
な格好をしないように心がけて下さい。

この世の中の常識だけに固まって生きていては、新しい発見も進歩もありません。かといって、常識を外
れた言動をしては、多くの民衆の支持を得ることはできません。それでは世界平和運動をしようにも、非
常識な変人の集団と思われて、行き詰まってしまいます。そこで常識を外れずに、常識を超えて生きる、
という超常識の生き方をする必要があるのです。

襖を開ける時には、指をこうして襖にかけて、このように襖を静かに開ける、というような細かい礼儀作
法は、私も詳しく知りませんし、そうした礼儀作法を皆さんに要求することもしません。そうした形式的
なことではなくて、相手への思いやりを持てば、おのずと相手を傷つけない、相手に迷惑をかけない行動
になってくると思うのです。小我の自分を中心に考えず、相手の立場に立って、相手を喜ばすことを考え
てみる。自分の言動によって、相手が嫌がっていないかを、相手の立場に立って考えてみる。常識的には
この場合、ふつうの人はどのように行動するか、と考えてみる。そうした視点が必要なのです。

常識的に行動することは、そう難しいことではないのですが、常識を超える宗教の言葉を聞いているうち
に、その宗教の言葉に把われて、知らないうちに非常識な言動をしてしまう、ということが少なくないの
です。たとえば、SさんがAさんに、「誰でもとしをとったら死ぬんだから、後で問題が起きないように
遺言書を書いておくといいわよ」とアドバイスしたら、Aさんは「想ったことは現れるのが真理だから、
そんな死ぬことなんか考えたら、『想念の法則』によって、死んでしまうから、遺言書なんか、考えたく
もないわ」と怒り出したそうです。これなどは、誤った宗教観に把われた典型的な例で、常識を外れて、
非常識な人間になってしまったわけです。「想念の法則」は別名、「恐怖の法則」とも言われ、この法則
に把われると、いても立ってもいられないほどの、非常な恐怖感に襲われるようになってしまうのです。
この「想念の法則」を超えるために、宗教があることを忘れてはなりません。

いつも私が申しますように、日常生活を当たり前に生きて、日々反省し、「世界平和の祈り」を祈ってゆ
けば、なんら常識を外れずに、常識を超えた超常識の生き方をすることができるのです。もし、私の弟子
に非常識な人を見かけたら、遠慮なく私に知らせて下さい。私はその弟子に注意します。皆さんは、常識
を外れず、ふつうの人から見て、「ああ、あの人は、魅力的な人だな。なんて明るくて爽やかで、気持ち
のいい人なんだろう。何か、宗教をやっているのかしら?ちょっと聞いてみたいな」と思われるような人
になって下さい。常識を持ちながら、人々に好かれ、正しい信仰心を持っている、そんな人が多く現れる
ように、私は「世界平和の祈り」を祈りながら願っているのです。

皆さんも、白光真宏会の中で、非常識な人や行為を見ましたら、このコーナーで勇気をもって発表して下
さい。「非常識の例」を募集します。多くの例が集まれば「非常識集」を作って出版したいと思います。
これは五井先生の望んでいることでもあるのです。業想念に妥協してはいけません。誤った行為に対して
は、指摘して注意して直してあげることが、相手の業想念を浄め相手を真実に愛することになるのです。


「美しくなりたい」と願っているあなたへ
No.267 森島恒吉    1999/04/19 (月) 16:31 富士宮市
世界人類が平和でありますように

若い女性の愛読者が増えてきたので、講義調のお固い話だけでなく、くだけた話もしてゆきたい、と思い
ます。若い女性は、なんといっても「美しくなりたい」という願望があるようです。しかし、老齢になり
ますと、いやでもしわが増えてきたりして、女性もあきらめがつくようになるのです。

なぜ、老齢になると、美しい女性も醜くなるんでしょうか。それは、肉体に執着させず、この世に未練を
持たせず、霊界にスムーズに移行できるように、自然が醜くしてくれるんです。しわが増えてくると、あ
きらめがついて、肉体に未練がなくなり、「早く、あの世に行きたいわ」という気持ちになるからです。

それが80歳になっても、あいかわらず美しくて、若い男の子からデートの誘いを受けていたら、肉体に執
着して、この世に未練を持ち、霊界に行けなくなり、肉体がすでに無いにもかかわらず、肉体界でさまよ
い、浮遊霊になってしまいかねません。仏教でいえば、成仏できなくなるのです。ですから、老齢になっ
て、だんだんと老けた肉体になってゆくのは、悲しいことですが、見方を変えれば、肉体への執着を少し
ずつ断ち切ってくれる、神の愛の働きともいえ、自然のメカニズムに感謝すべきことでもあるのです。

昨日も本屋で、「バカ・ダイエット」というトンデモナイ題名の本に、興味をひかれて読んで見ましたら
30種類もの多くのダイエットを試みては、失敗を重ねている女性の体験談を、マンガにしたものでした。
私は立ち読みをしながら、「クスクス、ウフフフ、ゲラゲラ…」と笑ってしまいました。

日本航空の国際線スチュワーデス(最近はアテンダントともいうらしい)の知人が、国内で研修を受けた
後、しばらく海外に飛んでいたのですが、「森島先生、わたし、カモシカのような足だったのに、こんな
に足が太ったから、日本航空をやめちゃったァ。ネェ、足を細くする方法を教えてェ〜ン」と、甘えた声
で私に言うのです。その女性とは別の女性で、上智大学の心理学科を卒業して、英検1級も取得した美人
の知人でさえ、日本航空に受験したら落ちてしまい、「わたしって、うぬぼれていたと思う」と泣く泣く
外資系の会社に勤めたのに、夢のスチュワーデスになった彼女が、「カモシカのような細い足でなくなる
のが、いや、いや」と言って、簡単に退職してしまうのですから、女ごころは、わからないものです。

「何か、仕事でほかにつらいことが、あったの?」と私が聞くと、「ううん、別に。なにもつらいことな
いんだけど、カモシカの足がゾウのような足になったら、いやなんだも〜ん」と彼女、「そうかー、給料
が高くていいのに、うう〜ん、もったいないなー」と半ばあきれて、ため息をつく私。

それほど、若い女性は、自分の容姿が気にかかるんですね。男の私から見ると、一年中、ジーパンをはい
て、口紅もつけなくても、若い女性は充分魅力的に見えるんだけど、顔がちょっとむくんでいたり、足が
ちょっとむくんだりすると、もうそれだけで、地球滅亡はおろか、太陽が滅亡し、宇宙全体が滅亡したか
のように、暗〜く悲しくなっちゃうんですね。でも、泣いた後でも、おいしそうなケーキを見ると、そん
なこと忘れたかのように、ケロッと食べるんですから、若い女性は不思議な生き物ですね。

私から見ると、そんな女の子がおかしくてたまらないんだけど、男の中にも、女の子をやたらに批評する
暇な馬鹿な男がいて、「おい、今日のおまえはブスだな」とか「おっ、今日のおまえは口紅が濃いぞ」と
か「おまえ、最近少し太ったんじゃねえか」と、女の子の気持ちも考えずに、ナイフでグサリと突き刺す
ような言葉を平気で吐いたりして、泣かされている女性も、だいぶいるようです。これはセクハラという
ことで、職場でも取り上げられるようになった問題ですが、馬鹿な男も、当分消滅しそうもありません。

さて、どうしたら美しくなれるのか、と申しますと、やっぱり神に祈ることが、最高の美容法と言えるの
です。肉体は、遺伝の問題もありますし、一重のまぶたを二重のまぶたに変えるぐらいはできても、顔全
体を変えようとしても、そう簡単に変えられません。美容形成で、顔を変えても、必ずしも思った通りの
顔になるとは限らないのですから、まだ危険と思わなくてはなりません。ですから、心を美しくすること
が第一であると思います。簡単にいえば、上品さを失わないことです。

最近、お菓子の研究家で有名になった藤野真紀子さんは、もともとお菓子を作るのが大好きだったのです
が、運輸省に勤める夫(ご主人という言い方は、女性差別だと主張する人がいるので、なるべく避けます
ネ)の転勤で、アメリカに行った時、一般家庭で伝統的に作られているお菓子を習い、その後にフランス
に転勤した時には、パリの料理専門学校に入り、お菓子作りを本格的に学んで、日本に帰国してから、お
菓子作りを教えるようになったそうです。藤野真紀子さんは、すでにお二人の娘さんが二十歳くらいなの
で、そう若い年齢とは言えないのですが、美しくはつらつと活躍されています。彼女のように好きなこと
に打ち込んでいる女性は、生命が生き生きとしていて、年齢を重ねても、魅力が増してくるようです。で
すから、一生涯つづけることのできる、自分の大好きなことを見つけることが必要なんですね。

「守護霊さま、美しい私になりますように」と祈っていると、だんだんと美しい心が磨かれてきて、顔も
美しくなってゆくものですが、年をとってゆけば、どんな美人も、最初に述べたように老化現象を起こし
てゆくのですから、老化はあきらめるしかありません。未来においては、地球人類も寿命が数百歳という
ふうに、もっと延びて、美しく老いることができるようになり、衣を脱ぐように、古い肉体を脱ぎ捨て、
再び美しい体を身にまとうことができるようになるのですが、それはまだまだ先の話です。

現在の私たちにできることは、心の美を開発する目的で、「守護霊さま、美しい私になりますように」と
祈ることです。美しい言葉を話し、美しい笑顔を絶やさず、美しい動作をするように努め、美しいお祈り
をすることが、美しく見える基本です。私の叔父もいとこも、宮内庁に勤め、天皇陛下と皇太子殿下の侍
従をしておりますが、その環境のせいか、丁寧な言葉づかいをすることが習い性となってしまい、たまに
私と会った時も、近しい親戚なのに礼儀正しい言葉で応対してくれるのです。すると、私のほうも気持ち
よく感じて、自然ときれいな言葉づかいになります。

そのように尊敬する人がいて、常にその尊敬する人に謙虚につかえていると、侍従する立場の人も、おの
ずと品格が高くなってくるものなんですね。尊敬する人に謙虚に仕えていると、その人自身も、品格を高
められるのですから、徳を積むだけでなく、実際に大きな得をすることにもなります。

神さまは最高に美しい気品のある存在なのですから、「神さま、神さま、守護霊さま、守護霊さま、…」
と、いつも神さまに呼びかけて、謙虚に自己反省していれば、神さまの高い光明波動に魂が浄められて、
おのずと品格が高くなってくるものです。「世界平和の祈り」は、この世でも霊界でも神界でも、最高の
美しい言葉なのですから、この美しいお祈りを唱えていて、私たちの心身が美しくならないわけがありま
せん。「世界平和の祈り」を祈っていれば、私たちの心身は輝くように美しくなるのです。

「世界人類が平和でありますように、世界人類が平和でありますように…」
ああ、なんと美しい祈り言なんでしょう!こんなに美しい祈り言を唱えることのできる私たちは、なんと
いう幸せ者でしょうか。そう思いながら、美しい祈り言のひびきの中で、うっとりと恍惚感に浸っている
私なのです。ああ、「世界平和の祈り」は、なんと美しいひびきなんでしょう!私たちは、「世界平和の
祈り」という祈り言の中で、美しい美しい世界にすっぽり入り込み、すでにそこに住んでいるのです!


平和になる信念で世界平和の祈り
No.269 森島恒吉    1999/04/21 (水) 03:58 富士宮市
世界人類が平和でありますように

お姫さま、ありがとうございます。可愛いお姫さまの登場で、この"PEACE NIFON"の視聴率というか、
アクセスの数が、ぐんと急上昇しました。勝手に「可愛い」と想像しております。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

A.「21世紀は素晴らしい時代になる」というお話とそれに「空気も買う時代になる」というお話は、先
月の3月28日(日)聖ヶ丘感謝統一会で、昌美先生が講話の中でおっしゃった一節です。頭の中が混乱しな
いように、お話を三つに分けて、整理して、解説することにしましょう。

【空気を買う時代って、どういうこと?】

「大気汚染がひどくなって、一人一人が、酸素ボンベを持って歩くようになるんです。でも、皆さんは、
お祈りしているので、お祈りしていない人よりも、きれいな酸素がよけいに肺に入るんです」と冗談まじ
りにおっしゃったお話を、お母さんがあなたに伝えたんでしょう。

タイのバンコックだったかな、どこか忘れたけど、自動車の排気ガスのひどい東南アジアの都市で、実際
に小型の酸素ボンベが置いてあり、幾らかのお金を支払って、酸素を吸えるサービスがあるようです。た
だ、日本のような排気ガス規制の整った国では、将来でも、そのようなことにはなりません。

地球環境を守るために、各国の工場から排出する排気ガスの総量を、世界機関が毎年決めているんです。
科学の発達した先進諸国に負けないように工場をたくさん作れば、それに比例して排気ガスが多くなりま
す。排気ガスが多くなれば、まずその煙突の近くに住む国民が被害を受けるのですが、アジアの国々が欧
米の先進諸国に追いつくためは、その程度の被害など、かまっていられない、というのが実情です。しか
し、排気ガスの排出量の総量が、世界機関で定められてしまうと、勝手に工場の操業ができません。

そこで、自国周辺で、工場が少なく、定められた排気ガス総量に充分余裕のある国々と交渉して、その国
の排気ガスの排出権を買うのです。そうすると、その分、自国の工場生産量を落とさずに済むので、生産
性は上がるわけですね。そうした国と国の交渉によって、排気ガスの排出量を売買することを、「空気を
買う」と言うんです。そうした国際経済ニュースを、どこかで聞いた昌美先生が、個人が酸素ボンベを持
ち歩くことと、誤解してしまったんでしょうね。(私は、なんでも知ってるね)
………………………………………………………………………

【昌美先生のお話は矛盾だらけと知る】

昌美先生は一方で「21世紀は本当に素晴らしい時代になる」「マイナスの言葉を使ってはいけない。思っ
た通りになるからだ」と説きながら、ですよ。他方で「大気汚染がひどくなり、日本でも空気を買う時代
になって、皆、酸素ボンベを持って歩くようになる」と説いているんです。

一方で、「素晴らしい時代になる」と光明思想を説きながら、その一方で「日本でも、大気汚染のひどく
なる(悪い)時代になる」と暗黒思想を説いているのです。「マイナスの言葉を使ってはいけません」と信
者に説きながら、ご自分は平気でマイナスの言葉を使っているんです。そして「こんなふうにマイナスの
言葉を使わねばならないのは、皆さんのせいですよ」と昌美先生は冗談まじりに言い訳しているんです。

ですから、ご質問にあるように、地球の未来は、一体良くなるのか、悪くなるのか、まじめに聞いている
側には、判然としなくなってしまうんです。昌美先生のお話は、はっきり申し上げて、「矛盾だらけ」な
んです。昌美先生のお話を、まともに真剣に聞いていると、聞いている側の頭が狂ってしまいますから、
「ほとんど嘘だ」と思って、落語を聞いているつもりで軽く聞き流さねばなりません。昌美先生ご自身が
ご自分の説いた教えを実行できないでいるんです。

そこで、私は昌美先生に「お話には矛盾がありますから、光明思想に徹して下さい」と苦言を呈している
のです。私の苦言は、耳に痛いかもしれませんが、このまま矛盾を抱えたまま行ったら、ちょっと頭の鋭
い人は、昌美先生の矛盾に気づいて、五井先生の教えまでもが疑われかねないからです。私の言葉に文句
のある人は、遠慮なく私の所にいらっしゃい。五井先生の教えと昌美先生の教え(生長の家)の違いを、何
時間でも、やさしくわかりやすく説明してあげます。

皆さんは、昌美先生の教えを、まともに信じて聞いていては、だめです。昌美先生は、五井先生の後継者
として五井先生が定めた方なのですから、私も昌美先生を称賛し、皆さんに進んで紹介したいのですが、
残念ながら、1990年を境にして、昌美先生は、五井先生の教えから外れて、生長の家と同じ次元の教えを
説くようになってしまったからです。

義理人情からいえば、五井先生がいかに昌美先生を愛されていたかを、身近で私はよく見て知っておりま
すから、五井先生のご恩を思うと、心情としては昌美先生を立てたいのです。しかし、五井先生の根本的
な教えから外れ、宇宙神の法則に外れた、昌美先生の教えを、義理人情から妥協して「善し」とすること
はできません。義理人情をきっばり捨てて、涙をのんでも宇宙神の法則に従わねばなりません。

私も昌美先生を愛しているだけに、(こう書くと「それは嘘だろう」と言う人がいるので申し添えますが
若い頃に昌美先生と私の二人だけで仲良く肩を寄せ合った写真があるんですよ)、昌美先生を批判する立
場に立つのは嫌ですし、非常に辛いのですが、途中で昌美先生ファンに憎まれることがあっても、いつか
は結果的には昌美先生を救うことになり、感謝される日がくることを信じて私は昌美先生を批判し、五井
先生の教えが誤って解釈されないように、全力を尽くして日夜修正のために働いているのです。

昌美先生の教えを読んだり聞いたりしてもいいから、その言葉が本心から出ている教えなのか、業想念か
ら出ている教えなのか、をはっきり区別して、読んだり聞かなくてはならないんです。私なんかは、昌美
先生のお話も、講師のお話も、「ああ、ここは正しいけど、ここは間違っているな」と本心と業想念の区
別をしながら、聞いているんです。だから、他人の誤った言葉に翻弄されることはないのです。だけど、
ほかの信者さんは、それができないので、頭の中が、矛盾だらけになってしまって、常識人の家族からは
「いったい、うちの妻は何を考えているのか?」と疑念を持たれてしまうのです。

お姫さまの場合は、「お母さん、昌美先生のお話は矛盾していて、間違っているわよ」とお母さんに言っ
たところで、昌美先生を信じきって課題を実行しているお母さんの耳には、その忠告は入らないでしょう
から、黙っていて結構です。いつか、昌美先生の教えに疑問をつぶやくようになったら、「五井先生の教
えだけを行じて、五井先生の時代のように、世界平和の祈りだけを祈るやり方もあるのよ」と教えてあげ
たらいいでしょう。それまでは、黙って見守ってあげることです。
………………………………………………………………………

【21世紀は素晴らしい時代になる】

さて、いよいよご質問の本題に入りますが、21世紀は、正確には、2001年から2100年の百年間をさします
から、21世紀は再来年から、ということになりますが、21世紀は地球人類を総合的に見た場合は、現在よ
りもはるかに科学が進化した素晴らしい時代になってゆくと思います。

局地的には、現在もユーゴスラビアの他民族への大量虐殺をやめさせようと、アメリカを中心とするNATO
軍が空爆を続行しておりますが、利己的な侵略戦争、人種差別による紛争、自由主義思想と共産主義思想
の対立、宗教宗派の対立による紛争などは、まだ当分の間つづくことになりますが、これらの悪い現象は
必ず消えてゆくのであり、「悪い現象が消えてゆくに従って、必ず善くなってゆくのた」という信念が必
要です。「悪い現象が、このまま続くのではないか、消えないのではないか」と恐れてはなりません。

また、戦争以外にも、気象異常による農作物の不作、大地震による家々の倒壊、エイズのような疫病の流
行なども、現れては消えてゆくのであり必ず平和になってゆくのだ、という信念を持たねばなりません。

今日までの20世紀の百年間で、地球人類はめざましい科学の発展を遂げ、インターネットや衛星放送テレ
ビの電波が、国境を超えましたが、パソコンとテレビの普及によって、世界の正しい情報が、各国の大衆
に瞬時にして平等に伝わるようになり、民主化が進み、政治指導者が情報封鎖をして独裁的に権力をふる
う、ということが難しくなってゆくでしょう。いわば、民衆の力が発揮される時代になるのです。

関心のない人は知らないと思いますが、日本の国の法律も、国会議員によって日々審議され、男女平等、
人権尊重、労働雇用環境、育児、学校教育、生活環境、老人福祉、道路水道電気などの社会基盤整備など
を改善するための、より良い法律の成文化や改訂が、着々と進められているのです。こうしたことを考え
ますと、日本の国民は科学力による恩恵と平和な生活を享受できる、幸せな国民となることでしょう。

現在、日本における有事の想定については、北朝鮮が、自暴自棄になって、射程距離に入る韓国や日本に
テポドンミサイルを無茶苦茶に発射しやしないか、と軍事専門家は心配しておりますが、日本の政治家は
非常に慎重に冷静に対処しており、神々も「日本は戦争をすることは絶対に無い。日本の平和は絶対に守
る」と約束して下さっているので、あんまりのんき過ぎて、平和運動をやめては困りますが、日本は平和
であることを信じて、できる限りの人事を尽くしていればよろしいのです。

人類の運命は、これからもちょうど、らせん階段のように、上ったかと思うと下がり、下がったと思うと
上がる、という具合に、悪い出来事が起きては善くなり、善くなったかと思えば、またどこかで悪い出来
事が起こるのですが、人類の運命は常に上昇し進化をつづけているのです。どんなに悪い出来事が起こっ
ても「これは消えてゆく姿だ」と業想念を否定して、守護の神霊の加護にすがり、「世界は必ず平和にな
るのだ」と信じて、「世界平和の祈り」を祈り続けてゆく必要があるのです。

個人の運命にしても、不幸なことが起きたら、「ああ、これは消えてゆく姿だ。守護霊さま、一日も早く
業想念をお消し下さい。運命が善くなるように、私をお守りお導き下さい」と守護の神霊に祈るのです。
そのように、悪い運命が現れるたびに、守護の神霊に浄めていただいているうちに、個人の運命はしだい
に善くなってゆき、天命のままに幸福な人生を送れるようになってゆくのです。
「守護霊さまが、必ず私の運命を善くして下さるにちがいない。私の運命は必ず善くなるのだ」と希望を
持って、「守護霊さま、お願いします。世界人類が平和でありますように」と祈るのです。

この生き方を、五井先生は「業を消えてゆく姿と否定して世界平和の祈りを祈る」と説き、それをもっと
短くして「消えてゆく姿で世界平和の祈り」という教えにまとめたのです。私の場合は、個人的にいえば
「必ず善くなる信念で世界平和の祈り」と説き、人類的には「平和になる信念で世界平和の祈り」と説い
ているのです。そうした信念の持ち方によって、世界平和の祈りの効果も変化してくるのです。
五井先生は「業想念否定形」を用いていて、私は「本心肯定形」を用いておりますが、表現の違いだけで
どちらも同じ意味であるのです。「業想念否定形」と「本心肯定形」の両方の用い方を知ることによって
「世界平和の祈り」は、より完全な光明力を発揮することになるのです。


不動心で「世界平和の祈り」を祈ろう
No.272 森島恒吉    1999/04/23 (金) 04:20 富士宮市
ケント様

世界人類が平和でありますように

誠実で正直なご意見と、ご質問をいただき、ありがとうございます。
ケント様のおっしゃっている事は、一々ごもっともなお話ばかりで、昌美先生や白光真宏会へのご批判は
少しも間違ってはおりません。ケント様のご見解や認識は、すべて正しいのです。

いつも申し上げていることですが、私は「世界平和の祈り」一本槍でつらぬいております。これから先も
死ぬまで、そして死んでからも、永遠に、私は「世界平和の祈り」だけを祈りつづけてまいります。

当然ながら、昌美先生がご神示として会員に勧める「我即神也」も「宇宙神マンダラを書く行」も、私は
一切従いません。今さら、古いチベット仏教や真言密教の真似をして何になるんですか。現代の波動には
過去のそうした宗教の行法は、すべて役に立たなくなってしまっているのです。

「我即神也」は、いかにも新しい方法のように、昌美先生は説かれますが、とんでもない、そんなこと誰
でも思いつくような幼稚な言葉でありまして、生長の家の「人間神の子、完全円満、現象無し、悪無し病
気無し不幸無し」の教えと、同じ次元の教えにすぎないのであります。

「世界平和の祈り」よりも、くらべものにならないくらい低い次元の教えである「我即神也」を、真理に
把われたがために、「世界平和の祈り」よりも高い教えと勘違いして、昌美先生は「我即神也」を説いて
いるのです。高い真理の言葉を宣言することが、現実世界には必ずしも効果があるとは限らないのです。
真理に把われ、理想に片寄った教えは、かえって現実に真理を現すことが難しくなり、必ずその行為には
欠陥が生じてくるのです。真理の言葉にひそむ欠陥のあることを、昌美先生はまだ知らないのです。

昌美先生の「もう皆さんは、苦しみにより学ぶ時代を卒業した」という言葉は、嘘なのです。

あなたのような良識を持った若い人は、本心の働きが強く、それだけに嫌悪感も強く、会をやめてしまい
残った会員は、知性が低く、良識がなく、盲目的に信じるご老人ばかりなのですから、病気の人が多いの
は、当然です。誤った宗教をやりますと、低次元の幽界の生物がその人の体を乗っ取り、守護霊も嫌がっ
て、その人から離れてしまうのです。したがって、運命が悪くなってゆくのです。

昌美先生の「皆様方の業は完全に全部消した」という言葉も、嘘です。業が消えたということは、病気も
無い、不幸も無い、憎悪も無い、怒りも無い、近眼や禿げも無い、夫婦ゲンカも無い、貧乏も無い、不完
全なものは一切無い、という意味です。しかし、現実には、誰もそうなってはおりません。昌美先生の近
眼も裕夫先生の近眼も、相変わらず治ってはおりません。昌美先生ご自身が、相変わらず不完全なのです
から、会員が完全になるはずもありません。昌美先生は、「虚言病」という病気にかかっているのです。

昌美先生は、矛盾した二元論の持ち主なのです。つまり、「実相論」と「現象論」(因縁因果論)の二つ
を持っているがために、矛盾撞着に満ちた法話になってしまうのです。つまり、「あなたは神ですよ」と
一方で実相論を説きながら、一方で「不幸になるのは、あなたの想念に原因があるのですよ」と現象論を
説いているのです。神である完全な人間が、不完全な不幸になるわけがないし、神である完全な人間が、
不完全な不幸になる想念を作るわけがないのですから、よく考えれば矛盾していることがわかるのですが
今もこの二つの矛盾に気づかずに、二元論を説いている人が多いのです。五井先生の教えは、一元論なの
です。この一元論と二元論については、唯一会のホームページで詳しく説明しているのでお読み下さい。

「願望成就法」は、正しい祈りではありません。神さまに全託をしていれば、その人に必要なものは、神
がすべて与えて下さるのです。欲望を無くし、願望を祈りに純化することこそ、宗教の道であるのです。
昌美先生が「願望を成就してあげるから、欲しいものをイメージして念じなさい」と甘い言葉を説いても
その言葉に左右されず、「世界人類が平和でありますように、世界人類が平和でありますように」と、た
だひたすら祈りつづけることです。

「願望を言わせるのは、それは願望が実現するなんてことじゃなくて、そういった願望の想いを消すため
に言わせているんだよ」と古い会員の方がいるようですが、それはあくまでも昌美先生をかばいたい気持
ちから出てきた、言い訳の言葉です。願望を言えは言うほど、欲望が高まってきて、欲望が消えるどころ
か、欲望の火に油をそそぐことになり、物質に執着させることになります。願望成就法は誤りなのです。

そこで、皆さんは、どのように生きたらよいかと申しますと、昌美先生の教えを聞いても良いから、どん
なお話も、すべて「消えてゆく姿」と思い、「世界平和の祈り」の中に投げ入れてしまうことです。私た
ちは、真理の言葉に把われず、業想念の言葉にも把われず、ほめられても、けなされても、そそのかされ
ても、おだてられても、心を動かさずに「世界平和の祈り」を祈りつづけてゆくことが大事なのです。


昌美先生の盗作問題について
No.277 森島恒吉    1999/04/24 (土) 00:36 富士宮市
ケント様

世界人類が平和でありますように
昌美先生が、無断で他の本の内容を、まるで自分が考えて書いたかのように、そのまま書き写して知らん
ふりをしていることは、一度や二度ではありません。それこそ、枚挙にいとまがありません。宗教や精神
世界の本をあさって読んでいる人は、会の中にもたくさんいますから、「おや、この部分は昌美先生が、
そっくり書き写している」と暴露されてしまうのです。最近では、私の知人が「ラムサ」の本を持ってき
て、「昌美先生は、ラムサの本からそっくり盗んで書いている」と話していました。その人も、編集部に
その件で忠告の電話をしたら、話を聞いただけで、お詫びの言葉もなかった、ということです。

会の職員たちは、昌美先生をかばう、というよりも、昌美先生の罪を隠蔽工作しているわけですね。昌美
先生は、前にも盗作の問題があって、この時は前副理事長の高橋英雄さんから「会員の人から、盗作につ
いてご意見がありました」と報告したら、昌美先生は謝るどころか、「だから、私に書いてくれって、高
橋さんが言ったから、いけないのよー」と高橋さんを責めたそうです。これは本当か嘘か知りませんが、
もし、事実であるならば、霊覚者どころか、宗教者として、情けないですね。こんな人に、会員たちが、
頭を下げて、お金を差し出して、浄めてもらっているんですから。

私は、いつも申しているんですけど、昌美先生は、無理に本を書いて、新しく次々と出版しなくてもいい
んです。五井先生の本があるだけで、充分なんです。もし、五井先生のように教えが、湧いてこなかった
ら、黙っていればいいんです。何も書く必要はないのです。それでも、五井先生の立派な後継者として、
私たちは尊敬するんです。それを、悟っていないのに、悟ったふりをして、教えを説けないのに、無理に
五井先生と同じように教えを説こうとするから、ボロがどんどん出てきてしまうのです。しかしこれも、
神の試練の一つであり、神のご計画の中に既にあったことなのでしょう。

私たちは、昌美先生の言動をすべて「消えてゆく姿」として、「世界平和の祈り」の中に入り込んでいま
しょう。いかなる悪事を見ても、私たちは、自分自身の心まで乱す必要はないのです。

昌美先生の天命が完うされますように。
五井先生、ありがとうございます。


望を念じることは、五井先生のみ教えに反することです!
No.279 森島恒吉    1999/04/24 (土) 02:30 富士宮市  
ケント様へ

世界人類が平和でありますように
ご質問をいただき、ありがとうございます。

昌美先生が、会員の皆さんに説く「願望を言いなさい。願望がすでに成就したことを、イメージしなさ
い。私はできる、できる。私はやってみせる。すでに望みは叶えられた、叶えられた。成就した。すでに
なった。…皆さま、おめでとうございます。皆さまの願いは、五井先生に届き、叶えられました」という
パフォーマンスは、五井先生が強く戒めていた「念力」であり、「祈り」ではありません。昌美先生は、
五井先生のみ教えに反することを、平然と行なっているのです。

ところが、昌美先生は、五井先生から「念力は間違っている」と教わったことをおぼえていて、「念力は
正しい」とは、さすがに口にはしません。その代わり「私のこの願望成就の行は、念力ではありません」
と正当化してごまかしているのです。昌美先生が、どんなに「これは念力ではありません」と言い訳をし
ようと、昌美先生の教えは、誤った念力であることに変わりはありません。

ですから、皆さまは、昌美先生に「願望を念じてイメージしなさい」と言われても、「ハイ、ハイ」と顔
ではうなずいてもいいから、(笑い)心の中で「昌美先生の言葉はすべて消えてゆく姿、世界人類が平和
でありますように、世界人類が平和でありますように」と、ひたすら世界平和の祈りを祈ることです。

歌手のパフィーではありませんが、これが「オトナの〜歩む〜道」です。宗教的に難しくいえば、臨済禅
の「公案」をパスする行と同じなのです。皆さま、私の言っていること、わかるかなあ?

あなたが幸せでありますように


神の大愛を信ぜよ
No.281 森島恒吉    1999/04/24 (土) 03:07 富士宮市
ケント様へ

世界人類が平和でありますように
ご質問をいただき、ありがとうございます。

1)「この一二年が、世界が平和になるか否かの勝負の年である」というのは誤りです。
もうすでに、「世界平和の祈り」が現れたのですから、「世界は平和になる」に定まっているのです。
五井先生の時代に「地球世界は平和になる」と神々は宣言して下さったのですから、私たちは少しも恐れ
ることはありません。人々の恐怖心を利用して、信者を増やすのは、邪教のやり方であるのです。

2)大気汚染や水質汚染は、今に始まったことではありません。地球上のすべての人々が、新鮮な空気が
吸えなくなり、きれいな水を飲めなくなる、ということはありません。昌美先生は、人々の恐怖心をあお
り、脅して、信者を自分に引きつけようとしているのです。昌美先生は、「暗いマイナスの言葉を使って
はいけません。光明思想の言葉を使いなさい」と信者には説いておきながら、一方でこのように、信者を
脅して、恐れさせ、暗黒思想を説いているのです。矛盾この上ないのです。

3)「現在の物質界のシステムは、すべて破壊されてゆく」というのは抽象的な言葉なので、明確に答え
ることができません。とうせ説くならば、不完全なシステムは消えてゆき、完全なシステムになってゆく
というふうに光明思想的に説けばいいのにね。やはり、昌美先生の心には、信者さんを脅迫したい想念が
ひそんでいるようです。昌美先生には、信者を脅迫して信者をあやつりたい、という想念があるのです。
そういえば、「信者を脅迫する」という点において、上記の3つは共通しておりますね。

昌美先生の予言は、すべて嘘と結論することができます。

世界は平和になるのです。空気や水は、今よりも爽やかで美しく清らかなものになります。社会における
古いシステムは、新しいシステムに代わり、人類が、急速に進化を遂げる時代が、もうすぐやってくるの
です。恐怖心に負けないで、神の大愛を信じて、「世界平和の祈り」をなさって下さい。

昌美先生の天命が完うされますように
あなたが幸せでありますように


どうか、愛深いあなたになって下さい。
No.283 森島恒吉    1999/04/24 (土) 05:56 富士宮市
ケント様へ

世界人類が平和でありますように
ご質問をいただき、ありがとうございます。
また、私を通して、初めて五井先生の真意を知ったそうで、こんなに嬉しいことはございません。
ありがとうございます。

(1)
富士聖地の場所が、「3次元から3.5次元になった」とか、それから「3.75次元になった」というお話を聞
くたびに、私はいつも、お寿司屋さんのランチメニューの「1.5人前」を思い出して、クスクス笑い出し
てしまうのです。ランチメニュー1.5人前1000円の宣伝に誘われて、お客さんはノレンをくぐるのです。

昌美先生が、「3.75次元になった」とお話をなさるのは、東京から遠く不便な富士聖地に、「多くの会員
さんたちを、なんとか引き寄せよう」と思って、そんな霊的なお話をするわけですね。人間というのは肉
体を持っておりますけれども、同時に幽体も霊体も神体も持っていて、同時に幽界にも霊界にも神界にも
住んでいるのです。一番外側というのは正確な表現ではないけど、簡単にいえば、外側に肉体をまとって
いるわけです。ですから、何も富士聖地に行かなくとも、人間は地球上どこにいても、無限次元の空間へ
とつながっており、無限次元の世界に住んでいるのです。

富士聖地は、高級神霊の住む山にあり、霊的な場所には違いありませんが、「3.75次元の場所」というの
は、昌美先生がそう思っているだけで、いいかげんな嘘であるのです。「世界平和の祈り」をする場所こ
そが、神界に近い無限次元の聖地となるのであって、「世界平和の祈り」をおろそかにし、「我即神也」
のような低い次元の行為をすれば、そこは富士聖地であっても、迷いに満ちた幽界と同じ波動の呪われた
土地となってしまいます。「世界平和の祈り」を祈る時、3.75次元どころか、はるかにもっと高い次元の
世界に住んでいるのです。つまり、そこに集まる人々の心境で、住む世界が異なってくるのです。

(2)
「宇宙神から光が降ろされる」と昌美先生は説いていますが、それも嘘です。屋外ですから、太陽の光が
下りてくるのは本当ですが。これも、会員さんたちを、富士聖地に引きつけるための策略にすぎないので
す。宇宙神から直霊、直霊から分霊と、宇宙神の光が流れてきているのが人間なのですから、今さら、宇
宙神から光を降ろすというのは、おかしなことです。人間は、すでに宇宙神の光を得て生きているからで
す。それに地球救済の働きは、宇宙神みずからが救済に働くのではなく、守護霊、守護神という守護の神
霊の団体が、地球を平和にしようと<救済活動をしているのです。

「世界平和の祈りを祈る時、救世の大光明が輝く」と五井先生が教えて下さっているのですから、「宇宙
神の光」に惑わされず、「宇宙神の光なんていうのは消えてゆく姿」と思って、世界平和の祈りを祈り、
「救世の大光明」を浴びたほうが得なのです。霊的な感覚のない人には、世界平和の祈りの「救世の大光
明」も感じないかもしれませんが、霊的に何も感じなくともいいから、「世界人類が平和でありますよう
に」と祈りつづけることが大事です。真実の宗教の目的は、愛の心を開発することであるのです。

(3)
我が身に受ける形で地球界の業を浄める人は、五井先生だけではありません。釈尊も、「衆生病むがゆえ
に我病む」と説いて病気になったんです。イエスキリストも、人類の業を浄めるために、十字架にかかっ
たのです。その他にも、この地球上には、無名の聖者がたくさん住んでいらっしゃって、業を我が身に受
けて浄化されています。また、聖者ほどではないにしても、身体障害者として生まれた人や、生まれてす
ぐ死んだ幼児は、先祖の業想念を一挙に浄めるために現れた菩薩といえます。そういう形で、少しずつ業
を小出しにして、人類の業想念を浄めているのです。

そこでご質問にお答えすると、五井先生のように光明力の強い人ほど、多くの業想念を引き寄せて浄める
ことができるので、そういう意味でいえば、おっしゃる通り、五井先生と同じ形で人類の業を受けて浄め
ることのできる人は、もういないでしょうね。また、その必要もないと思います。

我が身に人々の業想念を引き受けて浄めることを、昔は「おふりかえ」と読んだのです。銀行振替と同じ
文字なんです。教祖が、信者さんたちの受けるべき業を、自分(教祖)のほうへ振り替えて、代わりに病気
になったり、苦しんだりするんですね。すると、信者さんたちのほうは、病気が治ったり苦痛がなくなっ
たりして、楽になるんですよ。しかし、教祖に浄める力がないと、だんだんと教祖に業が集まってきて、
早死にしてしまうことになるのです。昔は、そんな人の良い教祖がいたもんなんです。

だけど、今の新興宗教のほとんどの教祖は、信者さんから金だけ振りこませて、「業は引き受けない」と
いうずるい教祖ばかりになってしまったんです。信者さんの苦しみを我が身に受けないで、感じようとし
ないで、「ああ、あなたの不幸は、あなたに原因があるのよ。あなたが悪いのよ」と責めて、お金だけ受
け取る。相手を責め裁くことなんて、宗教者でなくとも、誰でもできるんです。深い愛情をもって、相談
者の悩みを聞き、相談者の立場に立ち、相談者の苦しみを、我が苦しみとして感じて、苦しみを吸い取っ
て上げることが、宗教者の役目であるんです。

私たちは、五井先生のように、我が身に業を受けて浄めるなど、意識してやる必要はありません。守護の
神霊にすべてを任せて、自分にできる範囲で、人類の業を浄めれば良いのです。具体的には、「世界平和
の祈り」を祈り、人々に「世界平和の祈り」を祈らせ、縁のある人には特別に幸運を祈ってあげる、とい
うふうに、無理なく自然に、人類の業想念を浄めてゆけば良いのです。本心の側からいえば、浄めると言
いますが、肉体人間側からいえば、すべては守護の神霊に浄めていただくようにすればいいので、意識し
て「人類の業を浄めよう」と力む必要はありません。

人々から業を受けたとしても、「あの人、私の肩にこんなにたくさんの業を渡して行った」と恩きせがま
しく言ってはいけません。「あの人のそばにいたら、体が重くなって、業を受けちゃったわ」と自分が霊
的なことを自慢する人もいますが、それを聞いたら、傷つく人もいるのですから、そんなことを世間話の
ように話すものではありません。黙るべき時には、黙っていなければなりません。

相談者や信者さんから「五井先生を信じたけど、ちっとも効き目がないわ」と白い目で見られようと、
「世界平和の祈りなんてやったって、何も運命にいいことがなかったわ」とののしられようと、「何よ、
病気の一つも治せないで、インチキ宗教!」と罵倒されようとも、絶対に「それは、あなたが悪いんだ」
と言い返してはいけません。そんなことを言ったら、五井先生は悲しみます。

五井先生が、どんなに信者さんから「五井先生を信じたけど、治らないじゃないの!」と罵倒されようと
黙って耐えて、相手の人の幸せを祈られたように、私たちも、どんなに憎まれようと、どんなに馬鹿にさ
れても、「それは、あなたが悪いんだ」とは口が裂けても言ってはいけません。どこまでも相手を愛し、
愛し、愛し続けて、相手の幸せを祈ってゆくのです。それが宗教者としての天命であるのです。トラさん
のセリフじゃありませんが、「(宗教家が)それを言っちゃあ、おしめえよ」ということになるのです。

どうか、どうか、五井先生のように、人々の心を慰めることのできる愛深いあなたになって下さい。
あなたが幸せでありますように


「世界平和の祈り」を攻撃できる人は、一人もいない。
No.285 森島恒吉    1999/04/24 (土) 07:25 富士宮市
ケント様

世界人類が平和でありますように
五井先生とあなたは、これで本当につながりました。おめでとうございます。あなたの正直さと、素直さ
が、他の会員の人たちよりもずっと早く、五井先生を知り、五井先生につながる機縁となったのです。

私も若い頃は、東京近辺の集会場を回って歩いたものでした。いろんな人たちと知り合えて、楽しいです
ね。唯一会のメンバーとなっても、ご自由に集会へ参加して下さい。

「世界平和の祈り」の言葉についてですが、五井先生は「守護霊様、ありがとうございます。守護神様、
ありがとうございます」と、正式にはお書きになっているんです。ところが、統一会では、日本語でも英
語でも省略されてしまい「守護霊様、守護神様、(五井先生)ありがとうございます」となってしまいまし
た。これでは、書いてあることと、実際にやっていることがチクハグになってしまうので、私は五井先生
のお書きになった祈り言を、基本として祈ることにしているのです。「ありがとうございます」という感
謝の言葉を、面倒くさいからといって、一つに省略することはありませんよね。しかし、これは唯一会だ
けの祈り方なので、白光の集会や道場に行った時には、従来の感謝を省略した祈り方で.周囲の人たちに
合わせて、やってかまいません。

ご友人の天命の完うを祈る祈り方は、「○○さんの天命が完うされますように」と祈るのが基本です。
時間があれば、「守護霊様、ありがとうございます。守護神様、ありがとうございます。五井先生、あり
がとうございます」と感謝の祈りを捧げればよろしいですし、深刻な立場に立って、感謝する気持ちにな
れない場合には、「守護霊様、お願いします。守護神様、お願いします。五井先生、お願いします」と業
想念を投げ入れる気持ちで祈りますと、スーッと体が軽くなり、爽快になってゆきます。

顔見知りのおばさま連中には、「私はこんな人間なんだ」と、自分の考えを知らせるだけでいいのです。
おばさまたちに、自分の生き方を勧める必要は全くありません。「皆さんは、どうぞご自由に、なんでも
行をなさって下さい。その代わり、私は世界平和の祈りしか祈りませんので、私に世界平和の祈り以外の
行法を強制しないでくださいね」と、さりげなく言うのです。

私なども、聖ヶ丘道場や富士聖地に一人で「世界平和の祈り」だけを祈っていて、「我即神也」の印を組
まないで静かに座っておりますと、白光に入会して4〜5年のおばさんが、私に近づいて来て、「初めての
方なの?我即神也の印を教えてあげるから、立ってごらんなさい」と親切に話しかけてくるのです。そう
言われると「私はもう30年以上、この道をやっているんですよ」とは言えなくなって、初めて道場に来た
ような初心者のフリをして、ニコニコ笑っているんです。「スミマセ〜ン。私は、世界平和の祈りしか、
わからないもんで…頭がアホなもんですから、エヘヘヘ(笑い)」 と照れ笑いして、世界平和の祈りだけ
をしているんです。こうやってアホになったふりをして、世界平和の祈りを祈るのも一つの手ですよ。
アホになったフリをしていても、本当のアホにはなりませんから、ご心配はいりません。(笑い)

「昌美先生は、いつも、うちの会は自由なんです。行をやるのもやらないのも自由なんです。その人の自
由なんです。と説いているではありませんか?」と、昌美先生の言葉を持ち出せば、たいていのウルサイ
おばさまも、黙ってしまいます。一度、周囲のおばさま連中に、「ケントさんは、世界平和の祈りしか祈
らない人だ」と知らしめれば、後は楽なんです。私なんかは、「世界平和の祈りだけしかやらない」と
正々堂々と公表してしまったでしょう。するともう、後は誰も何も言わないんですよ。若い頃からの友人
で、現在白光の理事になった友人と道場で会っても、ふつうに挨拶できるし、ふつうに話せるんです。

何も恐れることはないんです。「私は世界平和の祈り一筋の人間なのだ」と、みんなに知らせてしまった
からね。「世界平和の祈りだけを祈る人に、怒り反対する」ということは、白光真宏会の教祖であり、昌
美先生よりも尊敬されている「五井先生に対して怒り、五井先生の教えを侮辱し、五井先生に反対する」
ということになっちゃうでしょう?だから、「世界平和の祈り」一念に生きている私たちを、攻撃できる
人などは、一人もいないんですよ。五井先生と一体化している私たちは、絶対的に強いんですよ。
どうです?私は強いでしょう。なんてったって、私は武道の達人でもあるんだからね。ハハハ(^_^)


未来には、五井先生の真実の教えが明らかになる!
No.287 森島恒吉    1999/04/24 (土) 17:00 富士宮市
ケント様へ

世界人類が平和でありますように
【Q.1】
たいへん失礼ですが、森島様のご年齢は、50才くらいでしょうか?ありがたいです。今後、20 - 30年か
けて五井先生のみ教えを吸収していきたいです。

【A.1】
唯一会ホームページの自己紹介にありますように、私は昭和25年(1950年)3月17日生まれで、現在49歳で
す。皆さんは、私がこの世に生きている間に、五井先生直伝の教えを私から吸収して、五井先生の教えを
完全に理解して下さい。私自身は、五井先生の教えを理解できるまでに20年間もかかってしまいましたが
私から学べば、皆さんは3年間くらいで、五井先生の教えを、完全に理解できるようになります。自己流
で研究するよりも、五井先生直伝の私のような先達に学んだほうが、はるかに早く霊性が開発できるので
遠慮なく学んで下さい。そして、私が他界した後も、五井先生の教義と「世界平和の祈り」をしっかりと
守り、後世の人々に正しく伝え、世界平和のために働いて下さい。私の願いは、ただそれだけです。

【Q.2】
私は、人の天命の完うを祈るときの祈り言葉として、下記を習ったのですが、これで良いか否かをお答え
願います。

世界人類が平和でありますように
May peace prevail on earth
○○様の天命が完うされますように
守護霊様 守護神様
五井先生 ありがとうございます。

【A.2】
もちろん、間違っておりませんが、日本語なら日本語で、英語なら英語で統一したほうが、すっきりして
良いと思います。単純明快、複雑怪奇という言葉があるように、祈り言も文体を統一して、目的以外の余
計なことを言わず、複雑にしないで、単純化したほうがよろしいのです。それと祈る人自身が、心に納得
できる言葉を使う、ということも大切ですね。具体的には、こうしたらいいでしょう。

………………………………………………………………………
[基本形]

世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私達の天命が完うされますように
守護霊様、ありがとうございます
守護神様、ありがとうございます
五井先生、ありがとうございます

○○さん(様)の天命が完うされますように
○○さん(様)の天命が完うされますように
○○さん(様)の天命が完うされますように
○○さん(様)の天命が完うされますように
○○さん(様)の天命が完うされますように

世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私達の天命が完うされますように
守護霊様、ありがとうございます
守護神様、ありがとうございます
五井先生、ありがとうございます
………………………………………………………………………
[短縮形]

○○さん(様)の天命が完うされますように
守護霊さま、お願いします。
世界人類が平和でありますように
………………………………………………………………………
[一番短い祈り方]

○○さん(様)の天命が完うされますように
………………………………………………………………………
[迷った霊魂を特に浄めるためには]

特に迷った霊魂のためには、「世界平和の祈り」のほかに、「人間と真実の生き方」をお経をあげるよう
に、仏壇(仏壇でなくとも結構です)の前で唱えてあげたら、霊魂は非常に浄まり、喜びます。実際にも
お経をあげるよりも、「人間と真実の生き方」を読んであげたほうが、ずっと霊魂は浄まるのです。
「○○さん、聞いて下さい」と霊魂に呼びかけて、「人間と真実の生き方」を読んであげるのです。これ
を続けますと、大きな功徳を知らず知らずに積むことになり、救われた霊魂が、今度はあなたの守護霊と
なって、霊界からあなたを力強く助けてくれるようになるのです。

【Q.3】
五井先生に「一生懸命やれば、神界の一番上には、何百年くらいたったら行けますか?」と質問されたの
は、森島さんだったんですか?私もそのテープ持っています。

【A.3】
その通りです。私は聖ヶ丘道場で、五井先生に、毎週のように質問しておりましたから、五井先生の講話
テープには、私の声がずいぶんあちこちに吹き込まれているのです。係の人に削られた所もありますが。
その時、五井先生は「あなたの悟りはそう遠くない。あなたは、今生でもうすぐ悟れるよ」というような
お答えをして下さったように記憶しております。しかし、その悟りとは、神界の一番上ですよ!あまりに
も、あっさりとそうおっしゃったので、私は信じられず、「五井先生は、きっと、私たちを励まそうと、
おだててあんなお世辞をおっしゃって下さったのに違いない。五井先生は人をほめて、人を乗せるのが、
うまいからなあ」と思いまして、私は本気にしませんでした。ところが、五井先生が約束されたように、
それから20年後に、ある日突然、五井先生によって、私は悟りを開かせていただいたのでした。

【Q.4】
昔は、泥棒が聖ヶ丘に入っただけで、泥棒が罪を犯さず退散し、また泥棒自身の殺人しなくちゃいけない
ような悪い運命も大きく清められて殺人を犯さなくても済んだ、と聞いていますが、今の会には、もうそ
れだけの救済力がないのでしょうね?残念ですが、、、熱心にやっても方向性が誤ってれば無駄な努力で
すから、よって、皆さん、絶対、確実なのは五井先生直説(ジキセツ)の教えだ、と私は思います。

【A.4】
五井先生がこの世に生きていらっしゃった頃、白光真宏会東京道場(紀尾井町)にどろぼうが入って、お
金を盗まれたことがあり、理事長が五井先生にその件で報告しお詫びすると「そのお金は、うちには必要
のないお金だったんだよ」と穏やかに話されて、少しも怒らなかったそうです。神様に全託している人と
いうのは、この五井先生の態度に見られるように外界の波に把われず、いつも穏やかでいられるんです。

直説(じきせつ)という言葉を知らない方のために、ちょっと説明しておきますと、直説とは仏教用語で
「仏が直接説くこと。仏が直接説いた教え」のことを言います。おっしゃるように、五井先生の教えと昌
美先生の教えを、同一の教えとして解釈しないで、五井先生の教えだけに専念して、五井先生の本だけを
集中してお読みになることを、お勧めします。

昌美先生は「私は五井先生の世界平和の祈りよりも、更に高い究極の方法、我即神也に到達したのだ」と
自慢したことがありましたが、私は昌美先生に対して、数年前にこんなお手紙を差し上げたのです。

「五井先生の教えよりも、昌美先生のほうが、より高い、よりすぐれた、究極の方法を発見した、とおっ
しゃるならば、そして五井先生の教えは、もう古くて時代遅れだ、とおっしゃるならば、白光真宏会の教
えは昌美先生の教えだけにして、五井先生の本を、すべて焼き捨てたらどうでしょうか?」と。

私がそのような手紙を差し上げたら、昌美先生は、さすがに「これはまずい」と反省されたのか、その後
「五井先生の教えよりも、私の教えは進んでいる」とは言わなくなって、「世界人類が平和でありますよ
うに、我即神也」と二つを同等の位置に持ってきて、必ず併用して書かれるようになりました。(笑い)

もちろん、昌美先生の教えのほうが、五井先生の教えよりも高いわけがありません。科学の進歩と同じよ
うに、宗教の世界においても、師の教えを土台にして、弟子がより良い教えを開発してゆく必要はありま
す。それは喜ばしいことです。しかし、昌美先生の教えは、私から見ますと、どうひいき目に見てあげて
も、五井先生の教えよりも低く、生長の家の本から借用したものばかりと感じるのです。進歩するどころ
か、五井先生のせっかくの高い教えを低めてしまったのです。神への冒涜としか言いようがありません。

白光真宏会の古い幹部職員の中にも、私のように表立って昌美先生を批判することはしませんが、ひそか
に私の主張に心から賛成している人がいまして、昌美先生のご命令にまるで羊のように従順にしたがいつ
つも、「五井先生の教えを、なんとか人々に知らせよう」と陰で懸命に努力している人たちが、実は存在
しているのです。

白光誌には、昌美先生に言わせれば「古い時代遅れの五井先生の講話」を記述し直した文章が、今も毎月
連載されていますが、それも「五井先生の教えを埋もれさせまい」と願う人たちの一つの現れなのです。
五井先生の講話集が、今後も数多く出版されてゆくにつれて、誰が見ても、五井先生の教えと昌美先生の
教えとの違いが、はっきりと現れてきます。未来の人たちに、私たちはそれを期待しているわけです。

あなたが幸せでありますように


自由に生きるんだよ
No.296 森島恒吉    1999/04/27 (火) 16:26 富士宮市
世界人類が平和でありますように

白ウサギさんのご質問は、ほかの皆さんにとっても、とても為になる良い質問なんです。それにしても、
神への全託の意味もよくわからないのに、それに私にまだ一度も会ったこともないのに、直観的にスッと
私に命を下さるなんて、なんという素直なあなたなのでしょう!!!私でさえ、五井先生に全託するまで
は、慎重に考えて考えて、その後にようやく全託したのですから、感動させられてしまいました。

【Q.1】
先生、「命を差し上げる」ということは、どういうことなのでしょうか?
森島先生は五井先生に「五井先生…私の生命を五井先生に差し上げます。
五井先生のご自由に私の生命をお使い下さい」と手紙を書いたんですよね。
森島先生は、その時、どういうお気持ちだったのでしょうか。
私には、いまいち「命を差し上げる」という意味が解りません。

【A.1】
私が五井先生に命を差し上げたのは、私も神我一体の境地になりたかったからです。
五井先生は、「神様のお仕事に、私をお使い下さい」と祈りながら、歩いていたら、
突然、天から「汝の命はもらった!覚悟はよいか!」と声がひびいてきたのです。
そのとたん、五井先生は「はい、神様に命を差し上げます」と答えたのでした。
それを契機に、五井先生は神の試練を受けて、神我一体となったのです。

五井先生のそのお話を聞いて、「私も五井先生の真似をすれば、五井先生のように悟れるだろう」と私は
思ったのです。同時に、楽になりたかったからです。五井先生にすべてをおまかせしてしまえば、自分の
欲望がスーッと消えてゆく感覚を知っていたからです。人間は、欲望があるから苦しむのであって、欲望
がなくなれば、楽になるのです。欲望は無限なのですから、一つの欲望を果たしても、次の欲望が出てく
る。その欲望を満足させても、また次の欲望が出てくる。この欲望がある限り、不平不満が生じて苦しく
なるのです。

そこで、「神様のみ心のままに」とおまかせしてしまうと、欲望が消えて、苦しみが消えるのです。
全託の祈りは、欲望を消滅させる不思議な力を持っているのです。そうすると、すでに与えられている事
物に感謝できるようになり、「足るを知る」生活ができるようになるわけです。(老子の教えの言葉)

「神様、神様のみ心のままになさしめたまえ」
「守護霊さま、あなたさまの一番良いように私の運命をお導き下さい」
と、神さまに全託しておりますと、欲望がスーッと消えてゆき、心が楽になるのです。

【Q.2】
私は、心の中で「森島先生に差し上げます」と申しました。
そうすると、私は、どういうふうになってしまうのでしょうか??
そうすると、森島先生は、私の命をどうするのでしょうか?

【A.2】
あなたは、私に命をあずけた以上、もうすでに、あなたの命はないのです。
あなたの命は、私のものなのです。したがって、あなたの欲望も、なくなったのです。
あなたは、私に命をあずけてしまった以上、もう、あなたという命は、あなたのものではなく、私のもの
なのですから、不平不満を言うことはできません。あなたの命は、私のものなのですから、あなたに不平
不満を言う資格はありません。「私の命を返してください」と言うあなたも、もういないのです。

しかし、あなたは、少しも心配する必要はありません。
神様は愛であり全智全能なのですから、その神様に命を差し上げて、神様が悪いように使うわけがないか
らです。あなたが、私に命を下さったからといって、不自由になることはありません。これからも、あな
たの自由な意志で判断したらいいです。これまで以上に、あなたは自由に行動できるようになるのです。
私は、あなたを自由に自由にと、あなたの心を解放するように、あなたの命を霊的に導いてゆきますから
ご安心下さい。私が五井先生に言われたように、私はあなたにこう命じます。
「あなたの自由に生きるんだよ」と。

あなたが幸せでありますように


昌美先生は、試みのお役目。私はアンチョコのお役目。
No.299 森島恒吉    1999/04/28 (水) 07:58 富士宮市
世界人類が平和でありますように

ケントさんの言うとおり、私には二つの使命があって、一つは五井先生の教えを守り後世に伝えること、
そしてもう一つは、昌美先生の誤りを陰ながら修正してあげて、昌美先生に五井先生の教えを理解させて
あげることなんです。私は昌美先生の家庭教師のようなものです。昌美先生に頼まれているわけではあり
ませんよ。五井先生に頼まれて、こうして毎日せっせせっと、あきもせず通信教育しているんです。昌美
先生が間違ったことを説いていると知ったら、「昌美先生は間違いだ、間違いだ」と言ってばかりいても
いつまでたっても、昌美先生は反省できないし、善くなりませんでしょ。

私は昌美先生の悪口を言うことを、目的にしているんではありません。昌美先生の本心を開発してあげる
ために、家庭教師のように「ここは間違っていますよ。ここはこのようにしたらよろしいですよ」と正し
い道をアドバイスしているのです。それを聞く聞かぬは、昌美先生の選択の自由です。私は、昌美先生を
愛する気持ちで、その誤りを指摘し、五井先生の真実の道を説いているのです。

私も、ケントさんと同じように、五井先生の講話のテープしか聞きませんし、五井先生の本しか読みませ
ん。白光誌の昌美先生の講話については、目をざっと通しますが、「どこがどう間違っているのか」と誤
った宗教観の例として見ています。老子の「不善人は善人の資なり。無棄人、無棄物」なのです。

「昌美先生は、地球人類の厚い業想念に本心を覆われて、五井先生の教えを誤解し、業想念の力のままに
動かされて、誤った教えを説いている。そして守護神によって、信者さんたちの心境を試みる試みのお役
目も背負わされてしまっている。ああ、なんて、お気の毒な昌美先生だろう。おかわいそうに」と私には
思われるのです。昌美先生は、五井先生の教えを外れた、「外道の役」をやらされているのですから、気
の毒なんですよ。私は、そんな役はやりたくありません。

昌美先生に、わざと誤った教えを説かせて「これでも、わからぬか?これでも、まだわからぬか?」と、
守護神や五井先生は、会員さんたちが、五井先生の教えを真実に理解したかどうかを試しているのです。
信者さんたちを試す役目として、昌美先生は、五井先生の後継者として、昌美先生ほどふさわしい人は、
いないんです。それで会員さん達は、守護神の試みに負けて、全員落第してしまったんです。守護神は、
厳しいんですよ。「何もそこまで厳しく、みんなを試みることはないじゃないの」と私は思います。

案の定、昌美先生による試みで、全員が落第してしまったのを見て、「このままではいけない」と思われ
た五井先生が、今度は私を通して、改めてわかりやすく説くことになったのです。そして私の解説によっ
て五井先生の教えが見直されてゆくにつれて、昌美先生もいつかは自身の誤りに気づく時が来るのです。

それまで私達は、昌美先生のお話を、すべて「消えてゆく姿」とする訓練をしなければなりません。それ
が皆さんに与えられた「神の試練」なのです。そして、その「神の試練」にパスできる智慧を、私が教え
ているのです。ですから、昌美先生は、守護神の試みのお役目で、私は皆さんが守護神の厳しい試みにパ
スできるように、守護神の目を盗んでは、かげでそっと教えてあげるアンチョコのお役目であるのです。
もちろん、そんな私を、守護神だって、知っているんだけどね。(^_^)