森島恒吉先生の法話集(過去ログ)


この掲示板は多くの人に愛されています (^_^)
No.2325 森島 恒吉    2000/10/29 (日) 09:01 富士宮  
世界人類が平和でありますように

[匿名さんのご意見]
ここの会の掲示板に私が簡単にここの感想を言わせてもらえば、少し寛容さに欠けている気がします。
行われている会話の如何はまったくわからずに、いろいろな気持ちを持った人がこの掲示板に来ることを
もっと深く理解してほしい。なぜなら、「世界平和を祈る同士がいる」と意気揚揚としてくる方もいるか
らです。多分、ほとんどの方がそんな思いでこの掲示板に来るのではないでしょうか?
そんなことを考えたりしますと、ここの会話には、とても孤立したものを感じたりしてしまします。
本当に申し訳ないこと言ってすいませんが、私の素直な考えです。

[匿名さんへのお答え]
掲示板には、ご承知のように管理者がおりまして、管理者の判断によって、「この文章はネチケットに違
反するから、もう書かないようにして下さい」と言って削除したりします。公序良俗に反するものは、削
除するのは常識ですが、その判断はその管理者に任されています。しかし、すべての管理者は必ずしも公
平無私の常識のある人とは限りませんから、管理者の心境によって、掲示板の発言の許容範囲がかなり異
なってきます。

たとえば、インターネットで拳銃や麻薬を密売したり、違法コピーのソフトを販売したり、いかがわしい
写真を掲載したりした場合によっては、その管理者に責任が及ぶことは、新聞やテレビのニュースで、す
でに皆さんはご承知のことと思います。このような公序良俗に反するものは、常識的な判断が誰でもわり
かし簡単にできると思いますが、主義主張や思想宗教の分野になりますと、「寛容の基準」と申しまして
も、管理者によって掲示板の掲載内容は、ずいぶん異なってくるものです。

私がこの掲示板を開設する前、一時期、Mさんの掲示板の一部をお借りして、「唯一会の考え」を発表し
始めました。無料で掲示板に書かせて下さるのですから、度量の広い人だと思って感謝しましたが、私の
主張の内容が、五井先生のみ教えと昌美先生の教えを比較して、昌美先生の教えを批判する文章になりま
すと、そのたびに「特定の個人、昌美先生を批判することはネチケット違反です」とMさんから注意され
ました。その一部の掲示板の運営者は私なのですが、掲示板を持っているのはMさんですから、Mさんか
ら注意されたら、私としてはそれ以上書くことができません。

そこでMさんとケンカをするように激しく意見の交換をしたのですが、Mさんと意見がどうしても一致し
ません。しまいには「自分の掲示板を作って、おやりになったらいかがですか。自由にやれますよ」とM
さんに言われて、Mさんと決別しました。当然、それまで数カ月間かけて日夜一生懸命書きためた、その
掲示板での私の主張は、すべて削除され、誰の目にも触れることなく消えてしまいました。私にとっては
それまでの労力が一瞬に消されるのですから、非常につらい試練でした。その後、自分の掲示板を持てる
ようになって、ようやく自分の主張を自由に発言できるようになったのです。

匿名さんのご意見によれば、私のこの掲示板は、「少し寛容さに欠けている気がします」ということです
が、いったいどこが寛容さに欠けているのでしょうか。具体的にお教え願います。掲示板はさきほど申し
ましたように、管理者の個性が出てくるもので、掲示板によって特色があり、持ち味があります。すべて
の人が気に入る掲示板というのは、管理者がいる以上、ありえないのですから、読者は自分の好きな掲示
板を自由に選んで、自由に見て、自由に発言すればよいと思うのです。私の掲示板が寛容さに欠けていて
居心地がよくないならば、自分の好む寛容な掲示板に移ったらよろしいのです。

「少し寛容さに欠けている気がします」と言われましたが、私に言わせてもらえば、他の掲示板に比べれ
ば、この掲示板はずっと寛容である、と思うのです。他の掲示板でしたら、私が「昌美先生は少し寛容さ
に欠けている気がします」と書こうものなら、とたんに「特定の個人を批判することはネチケットに違反
します」と管理者から言われて、その発言を抑えられ、削除される可能性があります。しかし、この掲示
板では「森島さんは少し寛容さに欠けています」と批判しても、「ネチケット違反だから、そんなことは
書かないように」と言われませんし、私への批判文を削除されることがありません。(もちろん、すべて
削除しない、という意味ではありません。落書きのような文はメモリの無駄ですから、私も削除します)

つまり、匿名さんも、公平の立場で発言しているように見えて、実は中立の立場にいるのではなく、無意
識のうちに「昌美先生のほうが森島さんより正しい」と心内では思っていて、昌美先生を弁護する側に立
って、私を批判していると、私には見えるのです。間違っているかもしれませんが、「寛容さに少し欠け
ている」という発言は、「昌美先生に対する寛容さに欠けている」と私には受け取れてしまうのです。
もし、匿名さんが寛容な方であるならば、私に対しても寛容であってほしい、と願うのです。くりかえし
ますが、私への批判ができる分だけ、他の掲示板よりも寛容な掲示板であると、私は思います。

この掲示板に来られたら、白光真宏会と唯一会の関係、唯一会の考え方、等をひとまずお読みになって、
それから再び掲示板をお読みになれば、とまどうことも少なくなると思います。「ここの会話には、とて
も孤立したものを感じたりしてしまいます」と匿名さんは書かれていますが、そのように感じる方がいる
一方、20年、30年と長い間、白光真宏会の会員として、五井先生のみ教えを探究してきた方々から、「私
は唯一会のHPによって、五井先生のみ教えがはっきりと理解できるようになり、救われました」という
感謝のご報告も数多く頂戴するのです。

万人に愛される一つの掲示板というのは、現在あり得ません。掲示板には管理者がおり、人間の管理者の
センスで運営されている以上、好き嫌いがあり、自分の波長に合う掲示板、自分の波長に合わない掲示板
が存在して当然です。ですから、自分の好きな掲示板を選んで、そこで発言すればよいのです。

「ここの会話には、とても孤立したものを感じます」と言われますが、白光真宏会関係の掲示板で、この
掲示板ほど、多くの読者が見て、五井先生のみ教えについて活発に議論している人気掲示板は、ほかには
あまり無いのではありませんか。孤立しているどころか、誰に対しても非常にオープンな掲示板です。

ただ、匿名さんが孤立したものを感じるのは、私が「世界平和の祈り」一本槍の生き方を強調しているた
めに、そう見えるのでしょう。しかし、この掲示板がアクセス数が多く、関心が高いのは、一つのテーマ
でまとめているからです。だから、白光真宏会の会員にとっても、会員でない人にも、非常に面白く感じ
るのです。この掲示板には、「世界平和の祈り」一本槍の生き方の好きな人が集まっているのです。それ
が気に入らない人は、去って行きます。それは見方によっては、きわめて狭量な掲示板に見えるかもしれ
ません。しかし、それは狭量というのではなく、個性でありオリジナリティ(独自性)である、と私は思
うのです。オリジナリティがあるからこそ、魅力が出てくるのです。

オリジナリティの無い掲示板は、誰でも参加できますか、面白くありません。面白くないから、誰もその
掲示板を見に来ません。すると、その掲示板で発言しても誰も読んでくれないから、つまらないのです。
そこで唯一会の考えに反論する人も、この掲示板のような活発に論議できる掲示板にやってくるのです。
この掲示板が嫌ならば、ご自分の開設した掲示板に、ご自分の好きなことを発言していればよいのに、そ
の掲示板にはあまり人がやってこないので、わざわざ考え方の異なる私の掲示板に割り込んできて、私に
お説教して、自己満足しているのです。

ですから、昌美先生をあつく信仰し、昌美先生が大好きな人は、「昌美先生大好き掲示板」を開設して、
そこで昌美先生を讃えたり、唯一会を批判したければ、そこで批判していたらよいのです。しかし唯一会
の会員が発言できる掲示板があっても、昌美先生大好きな人のための掲示板があまりないので、あっても
魅力がないために、昌美先生ファンは発言できる場がなく、欲求不満に陥ってしまうのです。そこで人気
があり、自由に発言できる唯一会の掲示板に、反論でありながらも、参加してくるのです。昌美先生ファ
ンの皆さんのために、「昌美先生大好き掲示板」が現れることを望みます。

私などは、反論者に対して、「この掲示板が気にくわなかったら、遠慮なく出ていってくれ。他の掲示板
に行ってくれ。さようなら」と非常に無愛想に冷たく突き放しているにもかかわらず、どういうわけか、
この掲示板から出て行ってくれません。「いやなやつが、やっと出て行ってくれた」とホッとしていると
ストーカーのようにニックネームを変えて、再び登場してきたりするのです。一人の人間がニックネーム
を変えて、まるで何人もの人間がいるように見せかけ、私を批判している人間が、いかに多くいるかを
宣伝している人もいます。おかげで、匿名さんの言うように、孤立するどころか、この掲示板は最も人気
のある掲示板になってしまっているのです。(^。^;) アセアセ!

前にも何度も申し上げておりますが、唯一会の考え方に賛同しない方は、この掲示板から出て行ってかま
いません。私の本音としては、乱暴な言葉ですが「出ていけ!」と言いたいところです。決してお引き止
めいたしません。また、私に「五井先生のようになれ」と高見に立ってお説教する人がいますが、その人
自身が五井先生になればよろしいので、それは余計なお世話です。五井先生も私も、誰に対しても優しく
て、どんな意見に対しても、寛容で、決して怒ることもない、という人間ではありません。そうしたイメ
ージを持っている人が案外多いと思いますが、一面しか見ていないと言わざるをえません。しかし、そう
したイメージを持ちたい人は、個人の自由ですから、それ以上突っ込みは致しません。
この掲示板の管理者として、私の運営方針を述べさせていただきました。

あなた様の天命が完うされますように
MAY PEACE BE IN THE WORLD


私の弟子は立派です
No.2329 森島 恒吉    2000/10/29 (日) 10:43 富士宮  
世界人類が平和でありますように

匿名さん、おはようございます。昌美先生が初めて富士登山をした頃の白光誌をお読みになれば、宇宙子
科学メンバーが誰で、私がどういう立場であったか、わかります。メンバーには二つの意味があって、宇
宙子科学の正式メンバーと、富士登山にあたり、青年部から選ばれたメンバーがおりまして、富士登山の
時には、宇宙子科学メンバーと補助する青年達のメンバーがいまして、青年達のメンバーも、そのときは
宇宙子科学メンバーと一体化して、宇宙子科学メンバーの一員として行動するように、五井先生から言わ
れていたのです。

五井先生のご指導のもと、宇宙子科学の部屋で特別に祈り、統一修行をするなど、私を含む青年たちも臨
時の宇宙子科学メンバーであったのです。そんなことは、私と同世代の白光真宏会の法友は、誰でも知っ
ていることで、今更細かく話すまでもないことと思って、言葉が不足だったために、匿名さんに誤解を与
えてしまったようです。その後、補足訂正して、間違って削除したことも含めて、何度も釈明したにもか
かわらず、私が嘘をつき、自慢していたかのように受け取って、匿名さんのように今も私を嫌っている人
もいるようです。私は、自慢するつもりも嘘をついたつもりもないのですが、誤解を与えてしまったのは
残念です。富士登山のようすは、五井先生が「聖なる世界へ」(祈りと統一について)で詳しく書かれて
います。興味のある人は、お読み下さい。

千葉の匿名さんには、私の天命や長所を冷静に評価して下さって、感謝しております。

>まぁ、森島さんと五井先生とでは、ぜんぜん段違い平行棒です。でも、他にやれる人がいなかったか
ら、ということは分かりますけどネ。

もちろん、五井先生と私とでは、段違い平行棒です。誰か、私の代わりにやってくれる人はいないかな?

>まぁ、森島さん、これからも、がんばってください。しかし、弟子の折原さんのほうが、あんなふうに
立場の違う人に対しても、すぐ「さよならーー」と言って切ったりしないからエライんじゃないですか。
いいお弟子さんがついてよかったですね。わたしゃ、折原さんの代になったら、また近づかせてもらいま
すワ。

ありがとうございます。弟子の折原さんは、私よりもエライですよ。おかげで私も楽になりました。
私が他界したら、唯一会に近づいて来てくださいね。いつでも門戸を開いてお待ちしております。

あなた様の天命が完うされますように
MAY PEACE BE IN THE WORLD


非常に有意義だった昨夜の議論
No.2367 森島 恒吉    2000/10/30 (月) 09:08 富士宮  
世界人類が平和でありますように

昨日は日曜日ということもあって、皆さんの議論がはずんで、楽しく読んでおりました。夜は皆さんが熱
く議論をしていた頃、妻と二人でカラオケに行って歌を歌っておりました。蓮華さんのいう通り、この掲
示板は「朝まで生テレビ」のような面白さがあります。静かで穏やかな会話を楽しみたくて、議論を嫌う
人は、この掲示板を嫌うかもしれませんね。そのような方は、別の掲示板に移ったほうがよいでしょう。

私はむしろ「朝まで生テレビ」のように五井先生のみ教えについて、徹底議論をしてほしい、と願ってい
るのです。自分の意見をいかにしたら相手に聞き入れてもらうかを研究し、同時に相手の意見も理解しよ
うと努めながら聞く、というまじめな議論は、たとえその議論に結論が出ないで、平行線のまま終わった
としても、少なくとも相手の意見はどのような内容で、相手は何を考えている、ということがわかるので
すから、双方ともに相手を理解する上で充分に意義のある議論だった、といえるのです。

昨日の議論は、非常に有意義な議論だったと思います。特にワンネスさんの2348と2359のご意見につ
いては、この掲示板で、昌美先生信仰者(または唯一会批判派・中立派)の人が、誰も今まで書いていな
かった内容で、そうしたまじめなご意見こそ、私は待ち望んでいたものなのです。

ワンネスさんは、(「自分は神の分け命なんだ」とハッキリ心に言いきかせて)という五井先生のみ教え
を五井先生のご本から具体的に抜粋し、次のようなわかりやすいご意見を書かれました。
[ワンネスさんのご意見]
…私が五井先生のご法話を書き込んだ理由は、五井先生のみ教えには、「人間神の子」と唱える行法を否
定しているように見える部分(青空さんの引用したご法話)と、それとは別に、現在の昌美先生の指導に
近いような部分(私が引用したご法話)も実はあるんだ、ということを、この掲示板を見ている人に知っ
てもらいたかったからなのです。ここの掲示板の唯一会の方の書き込みを読むと、五井先生は我即神也と
思うことを全否定しているかのような印象が強いのですが、実はそうではない、と言うことを五井先生の
ご法話から知ってもらいたいのです。五井先生は、その指導において、私の引用したご法話のように、
「自分は神のわけ命なんだ。実は神なんだ」と思いなさい、という指導もされているのです。その指摘を
しておきます。…

上記のワンネスさんのご意見は、これまで掲示板に出たことがありません。今までは、感情的になって、
「昌美先生への批判をやめろ」と叫ぶだけで、説得力のないご意見ばかりでしたが、ワンネスさんは、ご
自分の体験談(昌美先生の行法をやってみての効果)をお書きになって、根拠として五井先生のみ教えを
抜粋し、「だから昌美先生の教えも正しいのだ」と結論づけているのは、実にわかりやすく、論理的で、
説得力のある文章です。五井先生のご本もよく読まれている方であると思われます。このようなワンネス
さんのご意見は、とても好感のもてるものです。

昌美先生の「我即神也」という言葉そのままは使ってはいませんが、「自分は神のわけ命なんだ。実は神
なんだ」と自分に言い聞かせる方法を、五井先生も説かれていることは、その通りの事実で、それはご指
摘を受けるまでもなく、私もすでに以前から知っていることでもあるのです。

ワンネスさんが「五井先生のみ教えには、『人間神の子』と唱える行法を否定しているように見える部分
(青空さんの引用したご法話)と、それとは別に、現在の昌美先生の指導に近いような部分(私が引用し
たご法話)も実はあるんだということを、この掲示板を見ている人に知ってもらいたかった」とご指摘さ
れているように、五井先生のご法話には、たしかに矛盾とも思えるような二つの教えがあるのです。

白光真宏会と唯一会は、同じ五井先生の教義を信じ、同じ「世界平和の祈り」を祈っているわけですが、
ご指摘のあったこの点の解釈の違いによって、白光真宏会と唯一会の指導法が大きく異なってきているの
です。ここが非常に重要な点です。そこで私は、五井先生の二つの教えについて、どう解釈しているかを
唯一会で教えているのですが、これは一言ではとても教えられない内容なので、またの機会にします。

「昌美先生がどうのこうの言うのは、おやめになりませんか?」と昌美先生への批判を頭ごなしにやめさ
せようとする前に、ワンネスさんのように、昌美先生の行法をやったご自分の体験談をお書きになり、
「昌美先生の行法は、こんなに素晴らしい効果があった」「昌美先生の教えは、この理由で正しいのだ」
という説得力のある論理的なご意見こそ、私は待ち望むものです。

「昌美先生のお名前を出すな」「昌美先生を批判するな」ということは私も承知していることで、唯一会
HPの教義解説においては、昌美先生のお名前を一つも書かずに、解説するように心がけました。また、
将来、私は本を出版する予定ですが、その本には、昌美先生のお名前は一言も書かれておりません。

私が必要以上に昌美先生のお名前を引き出さなくてはならなくなるのは、「昌美先生の教えのどこが間違
っているのか?」というご意見やご質問があるからで、具体的に根拠をお答えしなくてはなりませんから
白光誌から昌美先生の教えをとりあげて、「ここが昌美先生の教えの誤りなんです」と親切丁寧にお答え
しているのです。私は、抽象的表現が嫌いなんです。相手には具体的に話してほしいし、私も具体的に話
したいのです。具体的でなくては、明確にわかりません。もちろん、時には抽象的に表現する場合もあり
ます。ともかく、本として出版する場合には、昌美先生のお名前は、めだかさんのご提言のように、一つ
も入れるつもりはありませんから、ご安心下さい。

ところでニックネームをコロコロ変える人がいますが、会話のつながりが途絶えてしまいますから、でき
るかぎり同じネームのほうが望ましく、また他人の使ったネームを真似したり、長過ぎるものは、まじめ
な議論には向きません。tokumeiさんは、めだかさんに変えていただきましたが、そのほうが議論する場
合には認識しやすいと思います。ありがとうございました。

MAY PEACE BE IN THE WORLD