森島恒吉先生の法話集(過去ログ)


真実は未来に明らかとなる
No.2644 森島 恒吉    2000/11/17 (金) 09:57 富士宮
世界人類が平和でありますように

昌美先生の教えをすべて信じている素直な昌美先生信仰者(以後、簡単に昌美先生ファンと呼ぶ)の一部
から、何度も「批判をするな」とか「比較をするな」と、私は言われつづけてきました。私の言動を理由
もいわず、頭から抑圧しようとしてきたのです。自由な発言を威圧的に束縛しようとしてきたのです。

しかし、「批判をするな」という主張も一つの批判でありまして、その人は私を批判していることに気づ
かなければなりません。「比較するな」という主張も、やはり同じく、自分の考えと他者の考えを比較し
ているからであって、その人自身が比較しているのです。「批判をするな」という批判をし、「比較をす
るな」と比較しているわけです。ですから、そんな自己矛盾したお話は、私は受け入れられないのです。

これからも多くの人から、繰り返し言われるでしょうが、「批判をするな」「比較をするな」と、ただそ
れだけを何度言われても、絶対に、私は過てる宗教を批判することをやめませんし、正しい宗教と過てる
宗教を比較をすることもやめません。

わんねすさんの主張を、私が高く評価している点は、過去の昌美先生ファンとは違って、「昌美先生の教
えが、五井先生の教えと同じである理由」について、具体的に五井先生のご著書から教えを引用されて、
「五井先生も、昌美先生の今の教えと同じようなことを書いているではないですか」と昌美先生の教えの
正当性を示した上で、「昌美先生の提唱する行法をやってみて、こんな効果がありました」とご自分の体
験を述べていることです。わんねすさんの、こうしたまじめな態度に、私は好感を持ちました。

私が議論の途中で姿を隠したのは、わんねすさんのご意見を読んでいて、「私から学ぼうという気持ちは
無いようだな」と判断したからです。「学ぼう」という謙虚な気持ちのある人には、私もお答えする気に
なりますが、「学ぼう」という気持ちの無い人には、お答えする気になりません。学ぶ気持ちが無い人に
は、私が何を説明しても、その人の頭には入ってゆかないから、無駄であるのです。無駄なおしゃべりを
して楽しむほど、私も若くはありません。今後は、私を信じてついてくる弟子や、謙虚に学ぼうとやって
くる人たちを教育することに、私は全力を注ぐつもりです。

私の代わりに主に青空さんが答えて下さいましたが、わんねすさんと青空さんの議論は、お互いの主張の
相違点を明確にして、お互いに相手の主張を、理解するかしないかは別にして、知り得たことは、有意義
であったと思います。現在はお互いの宗教観が異なっていたとしても、「世界平和の祈り」を祈りつづけ
てゆけば、過てる解釈はいつしか消えてゆき、真実の解釈だけが残り、私たちの心は自然に一つに融合し
てゆくのです。それを今すぐに一つに合わせようとするから、そこに無理が生じるのです。わんねすさん
のおっしゃる通り、今はお互いに自分の信じる道を進んでゆけばよいのです。

長い年月、歩く人がなく、雑草におおわれ隠れていた道を切り開くように、「世界平和の祈り」唯一行と
いう、最もやさしい易行道を、私は改めて切り開きました。体の不自由なお年寄りでも、小学生の子供で
も、宗教宗派、民族国家を超えて、世界中の誰もがやさしく理解できて、安全に霊性を開発できる、この
「世界平和の祈り」が広まらないわけがありません。「世界平和の祈り」によって私が救われたように、
私を信じてついてくる人たちが、次々と「世界平和の祈り」だけで救われております。この驚くべき奇蹟
は、いったい何を物語るのでしょうか。真実は未来に明らかとなることでしょう。

MAY PEACE BE IN THE WORLD


円実頓悟
No.2662 森島 恒吉    2000/11/19 (日) 00:43 富士宮
世界人類が平和でありますように

pindakoさんのおっしゃる通り、「世界平和の祈り」は完全な行法です。完全な行法であるということは
偏有偏空(へんうへんくう)ではない、業の想念法則にも片寄らず、真理にも片寄らない行法であり、行じ
ることによって生じる欠陥が一つもなく、ほかの行を何もつけたす必要がない、ということです。

完全円満な教えを円教(えんきょう)ともいい、親鸞さんは、阿弥陀仏の与えられた本願一乗の教えを、
「専中(せんちゅう)の専、頓中(とんちゅう)の頓、円中(えんちゅう)の円」と説いています。
「南無阿弥陀仏」という念仏の教えは、もっぱら行なう教えの中でも、さらにもっとも行なう教えであり
一足飛びに悟りを開く教えの中でも、さらにもっとも短時間で悟りを開く教えであり、完全円満な教えの
中でも、さらにもっとも完全円満な教えである、と説いているのです。

欠けるところがない、完全円満な真実の教えは、直ちに悟りに導く教えであることを、円実頓悟といいま
すが、「世界平和の祈り」はまさに現代における円中の円であり、円実頓悟の教えであるのです。

MAY PEACE BE IN THE WORLD


神への全託の祈り
No.2665 森島 恒吉    2000/11/19 (日) 01:44 富士宮
世界人類が平和でありますように

pindakoさんのおっしゃる通りです。誰でも、自己の幸福を願わない人はいませんし、一日も早く自己の
神性を顕現したい、という宗教上の目標も持たない人はいません。それを無理に抑えたり、自己暗示や念
力のほうへ持って行かないで、神への全託の祈りにすべて転換してしまうといいんですね。

たとえば、このように祈ればよろしいのです。

守護霊様、私たちの本心が現れますように
守護霊様、神の分霊の私が現れますように
守護霊様、あの人の本心(神性)が現れますように
守護霊様、あの人が本来の神の子の姿に還(かえ)りますように
守護霊様、世界人類の神性が一日も早く顕現されますように
守護霊様、すべての人が一日も早く神人となりますように
守護霊様、(今から)私が神の子でありますように
守護霊様、(今から)私たちが神の分霊そのものでありますように
守護霊様、(今から)私たちが神人としての行為ができますように
守護霊様、(今から)世界人類が神の分霊でありますように

このような祈り方ならば、間違いではありません。正しい祈り方といえます。「世界平和の祈り」だけで
は物足りなく感じ、満足できない人は、自己の願いを、このような祈り言に転換して、守護霊様のみ心の
中にゆだねてしまえばよいのです。このような祈り方をしておりますと、面白いことに、しだいに余計な
ことは願わなくなり、「世界平和の祈り」以外に必要な祈り言は消えていって、「世界平和の祈り」一つ
の行に専念している自己に気づくようになるのです。

MAY PEACE BE IN THE WORLD


永遠の輝きを放つ祈り
No.2672 森島 恒吉    2000/11/20 (月) 20:58 富士宮
世界人類が平和でありますように

pindakoさん、ありがとうございます。
法然さん、親鸞さんの著述録は、本当に感動させられます。法然さん、親鸞さんを見習いたいですね。
私も唯一会の中から多くの妙好人がうまれると信じております。

「世界平和の祈り」の大道は五井先生によって開かれました。ところが光を嫌う闇の暗黒想念によって、
「世界平和の祈り」の大道でさえも、一時覆い隠されてしまったかのように見えました。
 そして年月が流れ、ついに天の岩戸が開かれる時期がきたのです。
「世界平和の祈り」を覆い隠そうとする暗黒想念が、大光明に照らされて浄められてきたからです。
「世界平和の祈り」に秘められた深い意味を、地球人類はようやく理解できるようになってきたのです。
「世界平和の祈り」は今、永遠の輝きを放っているのです。

先日、申しました通り、しばらく私は留守をします。その間、よろしくお願いします。
MAY PEACE BE IN THE WORLD