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 もはや祈りしかない! 今こそ共に「世界平和の祈り」を祈りましょう。
 私たちの信じる教義とお祈りを紹介します。神様に全てを委ねる心持ちで真実の愛の実現を求めましょう。
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全託道場山門 私たちの《信条》 「世界平和の祈り」と私たちの信仰
祈りによって愛の心を生み、愛の行為によって、すべての平和が生れる
(五井昌久)
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 Explanation★ 私たちの《信条》




「世界平和の祈り」と私たちの信仰



 世界平和の祈りは、白光真宏会開祖・五井昌久先生によって私たちに示された神さまの真実の愛、世界平和の祈りは「愛の祈り」。世界平和の祈りは、神さまの愛が全て結実した「最初で最後の真の祈り」です。
 「世界平和(=人類の完全調和)」は、全人類の悲願、そして神さまの願い。さあ皆さんも、今こそ心をひとつに共に「世界平和の祈り」を祈りましょう! 



 世界平和の祈り


世界人類が平和でありますように
日本(にっぽん)(祖国)が平和でありますように
私達の天命が完うされますように
守護霊様(しゅごれいさま) ありがとうございます
守護神様(しゅごじんさま) ありがとうございます

(五井昌久先生 発表)

 この祈りは五井先生と神界の神々との【総意による】約束事(やくそくごと)で、この祈りをするところに必ず救世の大光明(きゅうせのだいこうみょう)が輝き、自分が救われるとともに、世界人類の光明化、大調和に絶大なる力を発揮するのです(注)



 人間と真実の生き方(教義)


 人間は本来、神の分霊(わけみたま)であって、業生(ごうしょう)ではなく、つねに守護霊(しゅごれい)、守護神(しゅごじん)によって守られているものである。

 この世のなかのすべての苦悩は、人間の過去世(かこせ)から現在にいたる誤(あやま)てる想念が、その運命と現われて消えてゆく時に起る姿である。

 いかなる苦悩といえど、現われれば必ず消えるものであるから、「消え去るのである」という強い信念と、「今からよくなるのである」という善念を起こし、どんな困難のなかにあっても、自分を赦(ゆる)し人を赦し、自分を愛し人を愛す、愛と真(まこと)と赦しの言行(げんこう)をなしつづけてゆくとともに、守護霊、守護神への感謝の心をつねに想い、「世界平和の祈り」を祈りつづけてゆけば、個人も人類も真の救いを体得(たいとく)出来るものである。(注)

(五井昌久先生 述)



【注】  「世界平和の祈り」の最後に附した文章(祈りの説明文)は、従来は「神界との約束事」で、「神界の神々との約束事」という文言は白光真宏会本部が機関誌の『白光』誌において一時期採用していたものですが(現在は元の文言に戻っています)、私の考えで、このHPにおいてはあえてそちらを採用し、【】内に文を補わせていただきました。
 なお、祈りの説明文と「教義」などにおける強調は引用者によります。





世界人類が平和でありますように


【参考】

 愛することは



愛することが哀(かな)しい時があっても
友よ 愛しつゞけてゆかなければいけない
あなたの愛がたとえ地上に燃える焔(ほのお)であっても
神はあなたの愛が天上界のものであることを知つている
愛は神のみ心そして地上の光明
愛することは深い喜び
愛することは深い哀しみ
この世のいのちの流れの中で
(えにし)美しく花開くは
人と人との愛の交わり

国と国とが愛し合えない悲哀の時代にあっても
せめて人と人とは愛し合わなければいけない
人はみな神のいのちの分れ
本来一つのもの
私とあなたは一つのいのち
私たちの愛の心が
光明となつて国に充つる時
それはやがて世界の平和を導き出してゆくことになるのだ
友よ
愛して心哀しい時があつても
愛しつゞけていなければいけない
その愛はやがて
輝やかな喜びとなつてあなたにかえつてくるに違いない
神があなたを愛していて下さるように
あなたの愛も相手を柔かく包んでいるに違いないのだから

(五井昌久著 詩集『いのり』=白光真宏会出版局刊=より)



 日本人よ 今こそ起て



日本よ 日本人よ 今こそ起たねばならぬ
今日起たねばいつ起つ時があるのか
日本よ 日本人よ 今こそ起たねばならぬ
だが日本は剣を持って起つのではない
一億の心を一つに
平和の祈りをもって起つのだ

日本は核爆弾の洗礼を受けた唯一の国
真実平和を絶叫できる唯一の国だ
何者だ今頃になって武器を持とうと言うのは
剣をもって防ぎ得るのは一時のこと
永遠の平和は剣を持つ手に来ることはない
日本の天命は大和(だいわ)の精神(こころ)を海外に示すにあるのだ
日本は今こそ世界平和の祈りによってのみ起ち得る
世界平和の祈りは
大救世主の光り輝く言葉だ
救世の大光明は日本国の平和の祈りに結ばれて
地球の隅々にまでその光明を顕現するのだ

サラリーマンの家庭から
農家の主婦の心から
機械に躍る職場から
世界平和の祈りは光りとなつて
世界中にひろがってゆくのだ

(五井昌久著 詩集『いのり』=白光真宏会出版局刊=より)


 五井先生の言葉より

神様、どうぞ私の心に愛を充実せしめ給え、
   どうぞ、私を愛深い私にならしめ給え

(五井昌久著 『神と人間』より)

 私が一番深い関心をもつことは愛の問題である。真実の愛行(あいぎょう)が出来れば、その人は自(おの)ずから神のみ心に通じた行為の人であることになる。何故ならば、神は愛の心そのものであるからである。
 そして、愛の行為が社会国家人類というように充ち溢れれば、それがそのまま世界の平和を樹立させることになる。

 (中略)

 さて、そうした愛を自己のものにするにはどうしたらよいか、これは善い心の人であればある程、考え悩む問題なのである。そういう愛行為をしたい。しかし、どうしても出来ない。自分を捨て切った愛の行為は、口ではやさしくいえるが、どうしてなかなか出来るものではない。ところが、自分を捨て切る、ということは、実は、真実の自分を生かし切る、ということであることに気づく人が尠いのは、意外と思う程である。
 自分を捨て切るにどうするか、これはもう祈りより他にない。神のみ心の中に祈り心(いのりごころ)によって昇華(しょうげ)してしまうより他に、自我欲望を捨て切るということは出来難い。祈りという神への全託行(ぜんたくぎょう)によって生れ出でた自己による愛行為こそ、本心から溢れでてくる真実の愛の行為となるのである。
 私はこうしたことを突きつめて考えて、キリストのいった「生命(いのち)を捨てざれば生命(いのち)を得ず」という言葉を、そのまま、神への全託行として実行してみたのである。そして体験として得たものは、祈りによって愛の心を生み、愛の行為によって、すべての平和が生れる、ということなのであった。

 (五井昌久著 『愛・平和・祈り』=白光真宏会出版局刊=序文 より
ゴチックは引用者)




♪己が幸(おのがさち) 願う想いも 朝夕の 世界平和の 祈り言(のりごと)の中♪

 ♪世界平和 祈るは神の 御心の ひびきにあれば 祈る楽しさ♪
May Peace be in The World


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