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世界人類が平和でありますように
ようこそ!全託道場へ
 神奈川集会で使用した勉強用テキストをUPしました。全て森島先生の過去ログから編纂した貴重な資料です。
 2010年3月の神奈川集会で使用したテキストです。五井先生のみ教えの理解のための参考資料としてご利用下さい。
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全託道場山門 私たちの《信条》 神奈川集会テキスト[目次] 10年3月テキスト
世界平和の祈りに全託してゆくことが、今日の世界にとって、一番大事なのです。
(五井先生最後のお言葉)
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Explanation★ 私たちの《信条》

世界人類が平和でありますように

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神奈川集会テキスト録05:
み教え理解のポイント
〜五井先生が教えと日常の言動〜

(2010年3月21日)


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【目次】



【み教え理解の着眼点
 〜五井先生が言っていることと行なっていること〜】

 新しく宗教を創立した教祖というのは、怒濤のように多くの教えが湧き出してくるものですから、自分の教えをまとめている暇がありません。湧いてくるものを肉体知で止めてしまうと、神智が止まってしまうからです。そこで、直伝の弟子や教祖に深い縁のある後世の人々が、その教えを整理してまとめる天命があるわけです。

 もちろん五井先生の教えについては、五井先生のご本から抜粋したり要約したりして、まとめようと思えば誰にでもまとめることができます。そしてその内容は、五井先生が説いた教えとして決して間違ってはいないのですが、ただし、ここで気をつけねばならぬことは、五井先生のおっしゃっていることと五井先生が実行していることにはしばしば食い違いがありますから、五井先生のおっしゃったこととはいえ、なんでもかんでも「正しい」と鵜呑みにして実行してよいものではない、ということです。五井先生も、勘違いして間違えたり、言葉が足りなかったり、あるいは現代の話としてではなく遠い理想の未来について話した内容であることもあるわけですから、常識とも照らし合わせて熟慮して実行しなくてはなりません。
 たとえば真理からいえば、人間は宇宙の中心であり、どの方位方角も吉であり、思い立った日が吉日であるわけですが、それはあくまでも業想念を超越して自由に生きられる人のみが言い得る言葉であって、業波動の影響を受けてしまう普通の人が真似をしますと、強い業波動にかえって傷つけられてしまうことがあります。五井先生でさえ、実際には常識的に行動されていたのです。私は五井先生のお話よりも、むしろ五井先生ご自身が「実際にどのように行動したか」をよく観察して、五井先生が行動した方を採用することにしております。



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【いきなり真理の境地を求めるな
 〜焦らずに「世界平和の祈り」を祈りましょう〜】

 私がなぜ「私は神さまと一体である」という宣言法をやらせずに、「世界平和の祈り」だけしか教えないのか、何度も書いていることですが、その理由をお話しましょう。


 人間というのは、悟りますと、悟っていなかった頃の自分の心境や行法を記憶としては覚えているのですが、感覚としては忘れてしまうものなのです。五井先生も、悟る前に行じていた行法と悟ってからの行法とは異なっているのですが、大悟しますと、「神さま、ありがとうございます」という感謝一念の心境になってしまったのです。悟る前に行じていた方法を、忘れるというよりも、必要なくなる、と言ったほうが正しいかもしれません。
 悟った人は、「神さま、ありがとうございます」と常に感謝できる心境にいるわけですから、「こんなに易しいことはない」と感じているのです。そこで、たとえば「神さま、ありがとうございます」という祈りを人々に勧めるわけです。ところが、まだ悟っていない人にとっては、「神さま、ありがとうございます」と常に思うのは案外難しいわけです。悟った人から見れば、「なぜこんなに易しいことがみんなにはできないんだろう」と不思議に思うくらいなのです。こんなふうに、悟った人と悟っていない人とでは心境に大きな差があるわけです。


 もうひとつの例をあげますと、悟った人は、「私は神さまと一体である」と、自然にそう思えるわけです。なぜならば実際に神我一体になっているわけですから、ことさら思い込まなくとも、自然にそう思えるわけです。ですから、悟った人が「私は神さまと一体である」と言うならば、それは真実であり、人々に真理の光明を投げかけることになるのです。そこで悟った人は、「私は神さまと一体である」と自然に思えるのですから、弟子に対しても、「私は神さまと一体であると、深く深く思いなさい」と、つい教えてしまうのです。自分の現在の心境を教えてあげて、「ここまで昇ってきなさい」と目標を示すわけです。

 ところが、実は五井先生は、「私は神さまと一体である」とくりかえし想念した結果、神我一体になれたのではないのです。五井先生は「神さま、お願いします」という祈りによって悟ったのであって、「私は神さまと一体である」という想念をくりかえして悟ったわけではないのです。「神さま、お願いします」と祈りつづけますと、想念波動変換原理によって、「神さま、ありがとうございます」という想念に変換され、第二次変換として「私は神さまと一体である」という神意識に到達できるのです。「私は神さまと一体である」と深く思おうとして思っているわけではなく、自然に深く思える心境に到達しているのです。
 その変換順序を経ないで、最初から最も高い「私は神さまと一体である」という絶対力の境地を想念しても、残念ながらいつまでたっても、「私は神さまと一体である」という意識にはなれないのです。この想念の変換原理を知らない人々は、絶対力の境地を早く手に入れようとして焦り、地道な祈り言をおろそかにして、「私は神さまと一体である」という真理の言葉を唱えるわけです。「私は神である」「私は完全である」「私は健康である」「私は無限の力である」「私は無限の富を持っている」「私は完全に自由である」「私は光明である」「私は何事も成功できる」「私は成功者である」「私は欲しいものをすでに手に入れている」というような真理の言葉や成功の言葉を連呼しても、真実に神さまと一体になることは不可能であるのです。それは想念波動変換原理を経ていないからなのです。

 「世界平和の祈り」を祈りつづけていれば、自然に「私は神さまと一体である」と思える日が必ず来るのです。それを、人よりもなんとか早く悟ろうと焦って、「世界平和の祈り」を忘れ、悟った自分をイメージして、「私は神さまと一体である、私は神である、私は完全である、世界は平和で調和している」と宣言するわけですが、それは所詮、真実の境地ではないのですから、真理の言葉の力でなんとなく悟った気持ちにはなれても、いつまでたっても真実の悟りに到達することはできないのです。恐ろしいとか怖いという問題ではなくて、「私は神さまと一体である」と唱えても実際に神さまとは一体になれないと私は指摘しているのです。なぜならば、それは嘘の行であり、偽善の行法であるからです。

 私は、五井先生からみ教えを学び、五井先生の言われた通りに行じてみて、自己の失敗の体験を積み重ねて、ようやく真実の道を発見できました。その体験から、五井先生のみ教えはもちろん正しいのですが、五井先生の弟子としての私の失敗を二度と味わわせまいと、五井先生のみ教えの中から誤解されやすいよけいな言葉を省き、「世界平和の祈り」一本槍の教えを私は確立したのです。


 「神さま、お願いします」というのは、ふつうの願い事ではありません。「神さま、お願いします。世界人類が平和でありますように」という祈り言のことなのです。あるいは「世界人類が平和でありますように、神さま、お願いします」と言ってもかまいません。私たちが「世界人類が平和でありますように」と祈っている時には、無意識に「神さま、世界人類が平和でありますように、お願いします」と祈っているのです。口に出して言わないだけで、省略しているわけです。自分に合うも合わないも、「世界平和の祈り」を祈る時には、誰でも心の中では「神さま、お願いします」と無意識で祈っているわけなのです。「守護の神霊に頼らずに、自分の心の力で世界を平和にしてみせる」という人は別ですけれどね。


 五井先生のご本を読んでいる時に、たとえばこんな教えが出てきたとします。

 《皆さんは守護霊守護神と一体なのです。一体ではないと思っている思いが邪魔して離しているだけなのです。だから、守護神守護霊と一体なのだ、と深く深く思うことです》

(『続・如是我聞』No.118より)

 そうしたら、「ああ、そうか。『世界平和の祈り』を祈っていると、こんなふうに『私は守護神守護霊と一体なのだ』と自然に深く思えるようになるんだ。ありがたいなあ。今の自分はまだそうは思えないけれど、こんな心境を目標にすればいいんだ。『守護霊様守護神様、あなたさまと私が常に一体でありますように、世界人類が平和でありますように』」というふうに「世界平和の祈り」へとつなげてゆくのです。
 それを勘違いして、「ああ、そうか。『世界平和の祈り』なんかやっているよりも、『我は守護神守護霊と一体なり』と深く思ったほうがもっと高い心境に行けそうだな。五井先生がこのように教えて下さっているのだから間違いないだろう。よし、これからは『世界平和の祈り』は適当にやって、『我は神と一体なり』の宣言する行を主体にしてやってゆこう」と思っては駄目なのです。それは私自身もやってみて、そのやり方の不可能であることを体験したからよく知っているのです。

 今の白光の会員さんたちがやっているようなことは、私がすでに30年も前にすべて経験済みのことなのです。私も真理の言葉を唱えたり、心の法則をさんざんやったのです。しかし、悟れませんでした。さんざん苦しんだ末に、五井先生のみ教えに戻って「世界平和の祈り」一念になったら、パッと悟れたのです。
 ですから、皆さんには余計な回り道を歩かせないようにと、余計なことを説かずに、最も短距離で悟れる道、「世界平和の祈り」一本槍の道をひたすら教えているわけなのです。たとえば霊能力を得たい、神秘力がほしいというような気持ちがあったとしても、そういった欲望はすべて消えてゆく姿にして、ひたすら「世界平和の祈り」を祈るとき、焦らなくとも、自然に花が開くように、いつしか私たちは神の子の神性を顕現する日がくるのです。あなたは必ず神性を顕現できるのです。世界は必ず平和になるのです。その日を信じて、焦らず「世界平和の祈り」を祈り続けてまいりましょう。


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【神様に全託した集団の祈りには力がある
 〜自信を持って「世界平和の祈り」を勧めましょう】

 五井先生のみ教えの中から、重要なみ教えを二つ抜き出して解説いたしましょう。


 そのひとつは、「神様、お願いします」「守護霊さん、守護神さん、よろしくお願いします」という祈り方です。五井先生の祈り方の基本は、これに尽きるのです。短く言えば「神様、お願いします」ですし、長く言いたければ「守護霊さん、守護神さん、よろしくお願いします」でもよいし、五井先生に親しみを感じている人は「五井先生、お願いします」でもよいのです。

 肉眼では見えない守護の神霊よりも、顔や姿の見える五井先生を守護の神霊の代表として拝んだほうが信仰の対象としてつかみやすいので、昔の会員さん達は、「五井先生、お願いします」と五井先生をお呼びしてから「世界平和の祈り」を祈っていたものです。近頃は、五井先生が他界されて大分経ったせいか、五井先生に会った人が少なくなり、「五井先生、お願いします」と親しみをこめて祈る人が少なくなったようです。人間の本体は神霊であり、肉体は器にすぎないのですが、肉体が見えないと、何か掴み所がないような気がして、仏像を造ったり仏画を描いて信仰の拠り所とするのです。

 五井先生ご自身は、「皆さんが『五井先生、ありがとうございます』と唱えるのはいいけれども、私が自分に向かって『五井先生、ありがとうございます』と唱えるのは、なんだかおかしくて唱えにくいでしょ。だから私は、守護霊さん、守護神さんに感謝することを教えているんです」とお話なさっていました。ところで、「神様、お願いします」と「守護霊さん、守護神さん、お願いします」の二つの言い方のうち、どちらが五井先生の講話の中に出てくる回数が多いかと数えてみますと、圧倒的に「神様、お願いします」のほうが多いんです。これが一番短いから、一番言いやすいんですね。たまに「神様、お願い致します」なんていうのもあります。
 要するに、どの唱え方でもいいから、守護の神霊の中へ、あるいは五井先生の中へ、自分のすべての想念を投げ入れてしまえばいいんです。そうして、常に守護の神霊のみ心の中に自分の想念を投入しつづけておりますと、想念がカラッポになってくる。自分の心の中が空(くう)になってゆくんです。そして、その空の境地がしだいに深くなってゆくと、本心の力、神の力が突如出現してくるのです。空から出現してくるこの神力は、念力とは比べものにならないほどの素晴らしい超越能力であるのです。ですから、五井先生も私も、念力を勧めずに、空の境地になれる真実の祈りを勧めているわけです。


 五井先生のもうひとつの大事な教えは、「集団の力を生かす」ということです。
 五井先生は度々このようにお話しされていました。

 「悪いヤツは、一人一人は弱いんだけど、暴力団のように徒党を組むんですよ。だから、悪いヤツラは強くなるんです。ところが、善人といわれる良い人というのは、他人を頼って迷惑をかけてはいけないと思うせいか、人に遠慮しすぎて、一人一人がバラバラで、集団で行動するということがないのです。だから、善人は弱いんですよ。善人が悪人の集団に負けてしまうんです。善人が悪人よりも弱いんじゃ、この世はますます悪くなってゆくばかりです。それじゃあ、いけませんね。これからは、善人が悪人よりも強くならなくてはいけません。それでなくては、この世は善くなりません。そのためにはどうしたらいいかと言うと、善人たちが集団化することなのです。善人たちが心を一つにして集団化すれば、暴力団よりも強くなれるんです。世界平和の祈りを合言葉にして善人たちが集団化すれば、世界中の悪想念は急速に浄化されてゆき、世界平和が実現するのです。」


 五井先生に教えていただいたように、私は「世界平和の祈り」を合言葉にして善人達を集団化したいと思うのです。「世界平和の祈り」の集団は、単なる集団ではなく、神力にバックアップされた光明集団なのですから、こんなに強い団体はないのです。「世界平和の祈りは最高の祈りである」という私たちの主張に対して真っ向から反対できる人は、今や一人もいなくなりました。それは、私たちが五井先生の教えを忠実に実行していることもありますが、それだけではないのです。今は私一人ではなく、多くの皆さんが私を応援して下さっているという事実が唯一会の会員以外にも知れ渡ってきて、私をあなどれなくなってきたからです。

 五井先生への畏敬の念は、どの会員さんたちの心にも潜在しています。たとえどんなに古い教えと言っても、五井先生の教えを忠実に実行している私たちを非難することは五井先生を非難することになり、神への冒涜となることを誰でも直観的に感じているのです。ですから、私たちは誰をも恐れることはないのです。「世界平和の祈り」をひたすらに祈り続け、五井先生のおっしゃるように一人でも多くの「世界平和の祈り」の同志を募ってゆけばよいのです。他力易行道の「世界平和の祈り」が多くの人々に支持されないわけがないのです。自信をもって、「世界平和の祈り」を人々に勧めて下さい。


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【『宗教問答』に学ぶ〜天と地をつなぐ中庸光明思想〜】

 『宗教問答』という五井先生のご本には、「生長の家の教え」と「五井先生の教え」について比較している文章が数多くあります。この二つの教えの違いを理解することが、五井先生の教えを深く理解するのに役立つのです。


 「人間は神の子であり、悪や病気や不幸は無い」という思想が生長の家の光明思想であり、「人間は本来、神の子であり、悪や病気や不幸は消えてゆく」という思想が五井先生の光明思想です。実相論としては、生長の家も五井先生も同じ光明思想であるのです。
 では、どこが異なっている点かと申しますと、生長の家の光明思想は、現実(地)を無視して理想(天)の実相だけを論じているのに対して、五井先生の光明思想は、現実(地)の存在を認め、理想(天)と現実(地)をつないでいる点にあるのです。それゆえ私は、生長の家の光明思想を旧光明思想・理想偏重光明思想・現実無視光明思想と名付け、一方の五井先生の光明思想を新光明思想・中庸光明思想・正直光明思想と名付けているのです。

 また、生長の家では、理想に片寄った光明思想のために現実の説明がつかなくなり、因果法則論を持ち出して自他を責め裁き、矛盾した二元論となってしまっておりますが、五井先生の教えは、自他を責め裁く因果法則の教えは真理の法則ではなく業想念の法則であり、消えてゆく姿であるとして、中庸光明思想の一元論にまとめています。五井先生は、因果法則で人の過ちを責め裁くという教え方を一切しないのです。「業は消えてゆく」のですから、業を追いかけて人を責める必要がありません。そして、人間神の子の実相を顕現する方法として、守護の神霊の加護を頼み、「世界平和の祈り」に統一することを教えているわけです。「世界平和の祈り」を祈っておりますと、守護の神霊、宇宙神のみ心とひとつにつながり、人間の神性が自然と顕現されてくるのです。
 無理に神の子になったふりをしたり、無理に人を拝んだりしなくとも、「世界平和の祈り」を祈っていれば、自然に誰もが神の子の神性を現わし、自然に相手を拝むことができるようになってくるのです。正直に生きるということは楽な生き方です。偽善者として生きることは苦しい生き方です。


 『宗教問答』には、このような五井先生の光明思想について書かれています。何度でも読み返し、真実の中庸光明思想を理解し、その唯一の行法である「世界平和の祈り」を祈りつづけて下さい。



【参考:『宗教問答』の中で特に重要な問答】

  • (問 9) 生長の家と先生の教えの相違点について
  • (問29) 「希望する物事を強く思って祈れば必ず与えられる」ということは祈りでしょうか?
  • (問52) 念力と祈りの相違について教えて下さい
  • (問63) 「人間の実相は完全円満だから、人間の悪を見るな、拝みなさい」という教えがあるが…
  • (問71) 生長の家との相違点というご法話の中での疑問について
  • (問77) 中庸の生活とは? 中庸の道を進むには?

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2010.5.10 ページトップへ

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