森島メソッドは単純明快矛盾なし 〜これぞ真実の五井先生のみ教えだ!〜
唯一会との出会い〜信仰を再び取り戻した私
本論の目的〜私たちが帰依すべき五井先生の真実の法とは如何なる教えか?
当HPのIntroduction「はじめに☆全託道場主ご挨拶」でも既に書いたことですが、 本論に入る前に、ここで私と唯一会との出会いについて改めて触れておきたいと思います。
【唯一会との出会い〜信仰を再び取り戻した私〜】
私が初めて五井先生のご著書に触れて信仰を得たのは、五井先生がお亡くなりになる5年ほど前のことでした。そして、五井先生ご逝去の5年後くらいまでが、私が五井先生の教え(=白光真宏会の信仰活動)に一番熱心だった時代です。
1980年8月に五井先生がお亡くなりになって、実は私を含む多くの会員が却って信仰活動に熱心になりました。今までのように肉体身の五井先生におんぶにだっこではいけないと、私を含む多くの会員がそのとき心から思ったのです。そして、その延長線上にあるのが現在の白光真宏会なのですが、ただ私としては、「昌美先生の教えにはどうしてもついてゆけない。乗り遅れたら乗り遅れたでよい、のんびりと世界平和の祈りを祈ってゆきたい」という思いが五井先生ご逝去の5年後くらいから強くありましたので、結局のところ、白光真宏会を継承した昌美先生の教えから私は離れることになりました。信仰を得て、ちょうど10年くらいが経過していました。私は元来のんびり屋で怠け者なのです。
さて、散々迷った末に私が昌美先生の教えと決別したのは、印の伝授が始まった95〜6年頃のことでしたが、それ以後は、五井先生の本すら読めない、読み通す気にならない状態が暫く続きました。ちょうどそんな折に、パソコンを購入してインターネットを始めた私は偶々唯一会のサイトを発見しました。掲示板などで主宰者の森島恒吉先生の文章をじっくり読んで「森島先生は全て正しい」と判断した私は、余り日をおかずに唯一会に入会。その後、第一回の東京集会に参加し、現在に至っているわけですが、東京集会で森島先生より改めて五井先生の教えについてご教示いただき、森島先生の教えに触れることによって、一度捨てた信仰をもう一度拾い直したと言ったらよいでしょうか、私は一度失った信仰を再び取り戻すことが出来たのです。
それでは、私が再び五井先生のみ教えを取り戻すことを得た、その“森島先生の教え”とは一体どのような教えなのでしょうか?
【本論の目的 〜私たちが帰依すべき五井先生の真実の法とは如何なる教えか?〜】
本論は、前編の「五井先生の遺言」(※「五井先生の絶筆」を改題)を承けて、 五井先生の真実の法に帰依すると言った場合、その法とは一体どのような法なのか、といった問題についてアプローチすることを目的として上梓いたしました。 そのために本論では、私たちが帰依する森島先生の教えについて出来るだけ詳しく解説し、五井先生とは違う唯一会の教えと信仰について、2章に分けて私なりに解説を試みたものです。
なお、誤解のないようにここで申し添えておきますが、
本論は、あくまで“五井先生のご著書や講話だけでは五井先生の教えを真実には理解することができなかった私たち”の経験を下に述べているもので、五井先生のご著書などから五井先生のみ教えを完全に理解できた人、または理解できると思っている人は、必ずしも読者として対象にしておりません。そのことをまずはご諒解下さい。
また、前編の「五井先生の遺言」を執筆するに当たって五井先生ご逝去前後の統一会の録音テープを聴き直したのですが、実はその録音テープを聴いて思ったことは、私を含め多くの人が五井先生の真実の教えを逸脱してしまったのも、これは致し方のないことだったのだなぁということでした。従って、本論では“私たちが何故 五井先生のみ教えを逸脱してしまったのか?”については考察しておりますが、そのことをイタズラに批判したり糾弾することを目的に執筆したものではありません。
以上の2点をご理解の上、本文をお読み下さるようお願いいたします。
第1章 狭い教え〜唯一会は五井先生の教えの一部しか説いていない
第2章 目の付け所が低い教え〜唯一会は五井先生の教えよりも低い
【最後に】 単純化への不安や抵抗を超えて
2007.8.20