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世界人類が平和でありますように
ようこそ!全託道場へ
 世界平和の祈りに全託を! 果たして五井先生は私たちに何を訴え続けてお亡くなりになったのでしょう?
 五井先生のみ教えは御利益信仰ではありません。前書きとして、本編の趣旨や宗教の目的など本文を読む上で前提となるべき事柄につき簡単にコメントいたしました。
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全託道場山門 私たちの《信条》 五井先生の遺言[目次] 序☆はじめに――本文を読まれる前に
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 だから皆さんは、私に会える間はかまわず私に浄めてもらい、もし会えなくなれば世界人類の平和だけ祈っていればいいのです。
(五井先生のお言葉)
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全託道場 Contents
 Explanation★ 私たちの《信条》

冒頭ライン1:世界人類が平和でありますように



 五井先生の遺言
〜五井先生が最後に遺した言葉〜





病気も苦しみも、今は存在しておりますが、必ず消えてゆくものです。紛争や戦争も、今は存在しておりますが、必ず消えてゆくものです。そして人間は、未来に進むにつれて、完全な健康体へとなってゆき、争いも戦争も消えてゆき、お互いに愛し合うようになり、世界は平和になってゆくのです。
「世界は平和になる」という信念で「世界平和の祈り」を祈ってまいりましょう。
(唯一会主宰・森島恒吉先生過去ログより)

冒頭ライン2:世界人類が平和でありますように




おことわり――本文を読まれる前に
緒論――宗教の目的とは


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【おことわり――本文を読まれる前に】


 本編の文章は、五井先生ご存命の頃に信仰を得た、ないしは、五井先生没後においても、最初は五井先生の著作などから信仰を得た人を読者として想定して書きました。昌美先生の教えに直接触れて信仰を得た人を対象として書いたわけでは必ずしもありません。ただし、その方々にも(私たちの理解する)五井先生のみ教えの根幹が何であったかを知っていただきたく、以下の文章を書いたことに変わりはありません。(なお、ここで“信仰を得た”と言っているのは、何も必ずしも“入信した”という意味合いではなく、“かつて五井先生のみ教えに触れて、五井先生に強く惹かれた”くらいの意味合いでご理解下さって構いません。) 


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【緒論――宗教の目的とは】


 本文では、上記の目的を達するために、私の体験などを適宜絡めながら、晩年の五井先生のご病気のことに関してかなり詳しく書かせていただきました。ただ場合によっては、このような内容を余り詳しく書くことで却って信仰上の躓きとなられる方も或いはいらっしゃるかも分かりません。そこで、本論とはいささか外れるテーマですが、五井先生のみ教えの根幹について考察する前に、まずは真の宗教の目的に関して簡単にここでコメントしておきたいと思います。



 のっけから引用で恐縮ですが、
 森島先生も、このことに関して次のように書いていらっしゃいます。――


私が、こうして五井先生のお体のありのままを、正直にお話しするのは、宗教団体によっては、「病気治し」を宣伝文句にして、信者を勧誘しているところもありますが、私たちは、金もうけのために病人ばかりを集めたくはないのです。世界平和を望む人たちに集まってほしいからなのです。五井先生をスーパーマンのような頑健な体を持った人のように美化しないのは、宗教の目的は、病気治癒ではなく、本心開発にある、ということを言いたいからです。「世界平和の祈り」を祈ることによって、健康を回復する人はいますが、それは本心開発による副産物でありまして、「世界平和の祈り」を長年祈っても、この世では病気が治らない人も、残念ながら存在するのです。もちろん、業想念が消え、本心が現れてくれば、すべての人間は、完全な健康体となるのですが、そうなるまでには、まだ、時の流れが必要であるのです。
(PEACE NIFON No.933「自然の声に耳を澄まそう」より)


 私も自分の宗教に対してよい印象を持ってもらおうと思って、「うちの会(白光真宏会)は現世御利益を問題としない」などと言ったことも過去には幾度かあります。ところが、一部の宗教を信奉している方や願望実現法などをなさっている方から却って反発を受けたことが一度ならずあるのです。「草創期の宗教には奇跡が多い、だから、そういった宗教を渡り歩くんだ」(だからあなたの宗教には最早その力がない、との意味を含意)などと言われた方も存じ上げております。このような、私たちから見たら誤った宗教観をお持ちの方は現在でもたくさんいらっしゃいます。もっとも上記のような方は論外としても、現世利益的な宗教信仰をお持ちの方が日本人の大半ではないでしょうか。
 ここで誤解のなきよう申し添えておきますが、いわゆる現世利益的な宗教信仰をお持ちの方の宗教観を私は必ずしも否定したいわけではないのです。ただ、宗教は本来“人間が人間になるために”あるので、その意味での「霊性の開発」を目的とするものです。決して病気直しなどの現世利益を与えることだけが宗教の主眼目なのではありません。そのことだけは明言しておきたいと思う次第です
。(なお、唯一会では病気直しなどのご依頼は一切お受けしておりませんが、それは五井先生のみ教えの根幹を教え宏めることが唯一会設立の本来の目的であるからに他なりません。) 


 ところで、五井先生ご自身も御利益を求める私たちの心情を決して無下には否定なさいませんでした。五井先生は、現世利益を求める私たちの心もある意味で宗教心の発露として、すなわち真実の宗教信仰に導くための方便として認めていらっしゃったのです。実際お元気な頃の五井先生は、誰が勧めても個人相談をお辞めにならず、どのような相談にも嫌な顔ひとつせずに懇切に対応されていたと聞いています。五井先生のお浄めなどによって救われた方も事実たくさんいらっしゃるわけです。
 しかし、それもこれも五井先生の私たちに対する愛念からそうされていたので、これらの個人相談は
、(本来の宗教の目的から言えば)枝葉のこと、要するに方便にしか過ぎないのだということは忘れてはならないでしょう。事実、五井先生にすがってくる信者さんたちに対して、 《その代わり、世界平和の祈りを祈ってくれなきゃ困りますよ》(聖ヶ丘講話『自由解脱への道』、p.56)という意味のことを五井先生は日頃から言っておられました。



×       ×       ×

 以上、御利益がないことだけをもって宗教の正誤を判断されるような向きも多々ありますので、誤解のなきよう、老婆心ながらここに付記させていただきました。


※ なお上記の問題は、ひと言でまとめれば「宗教」と「呪術」との違いとでも表現できるでしょう。これはかつて私の恩師に当たる人から教えていただいたことで、大変大事な観点であると思うのですが、残念ながら本論の範囲を超える問題です。後日別稿にて詳述したいと考えておりますが、或いは本論の展開の中で簡単ながら触れることができるかも知れません。


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利益を得よう、あるいは死後きれいな所へ行きたい、というのは初歩である。どんな目にあっても驚かない動じない心になることが大事である。そうしないとほんとうの菩薩行は出来ない。
(高橋英雄編著『続・如是我聞――五井先生の言葉――』No.166 より)


 宗教に名をかりて、自分の欲望を達成しようとすることは、最も下劣なることだ。
(高橋英雄編著『如是我聞――五井先生の言葉――』No.55 より)

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第一章へ〜五井先生との出会い〜第一章 邂逅――世界平和の祈り(=五井先生)との出会い

第2章へ〜晩年の五井先生〜第二章 晩年の五井先生――衆生病む故にわれ病む

第3章へ〜五井先生の絶筆〜第三章 五井先生の《願い》――五井先生の絶筆をめぐって

第4章〜法に随うべき時〜第四章 永訣――法に随うべき時

跋文へ〜私たちの誓い〜 【跋】  私たちの誓い――世界平和の祈りは永遠なり!


2004.4.8
2006.4.6レイアウト改訂
2007.8.18イトル改題
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