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おことわり――本文を読まれる前に 緒論――宗教の目的とは
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本編の文章は、五井先生ご存命の頃に信仰を得た、ないしは、五井先生没後においても、最初は五井先生の著作などから信仰を得た人を読者として想定して書きました。昌美先生の教えに直接触れて信仰を得た人を対象として書いたわけでは必ずしもありません。ただし、その方々にも(私たちの理解する)五井先生のみ教えの根幹が何であったかを知っていただきたく、以下の文章を書いたことに変わりはありません。(なお、ここで“信仰を得た”と言っているのは、何も必ずしも“入信した”という意味合いではなく、“かつて五井先生のみ教えに触れて、五井先生に強く惹かれた”くらいの意味合いでご理解下さって構いません。)
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本文では、上記の目的を達するために、私の体験などを適宜絡めながら、晩年の五井先生のご病気のことに関してかなり詳しく書かせていただきました。ただ場合によっては、このような内容を余り詳しく書くことで却って信仰上の躓きとなられる方も或いはいらっしゃるかも分かりません。そこで、本論とはいささか外れるテーマですが、五井先生のみ教えの根幹について考察する前に、まずは真の宗教の目的に関して簡単にここでコメントしておきたいと思います。
のっけから引用で恐縮ですが、
私が、こうして五井先生のお体のありのままを、正直にお話しするのは、宗教団体によっては、「病気治し」を宣伝文句にして、信者を勧誘しているところもありますが、私たちは、金もうけのために病人ばかりを集めたくはないのです。世界平和を望む人たちに集まってほしいからなのです。五井先生をスーパーマンのような頑健な体を持った人のように美化しないのは、宗教の目的は、病気治癒ではなく、本心開発にある、ということを言いたいからです。「世界平和の祈り」を祈ることによって、健康を回復する人はいますが、それは本心開発による副産物でありまして、「世界平和の祈り」を長年祈っても、この世では病気が治らない人も、残念ながら存在するのです。もちろん、業想念が消え、本心が現れてくれば、すべての人間は、完全な健康体となるのですが、そうなるまでには、まだ、時の流れが必要であるのです。 私も自分の宗教に対してよい印象を持ってもらおうと思って、「うちの会(白光真宏会)は現世御利益を問題としない」などと言ったことも過去には幾度かあります。ところが、一部の宗教を信奉している方や願望実現法などをなさっている方から却って反発を受けたことが一度ならずあるのです。「草創期の宗教には奇跡が多い、だから、そういった宗教を渡り歩くんだ」(だからあなたの宗教には最早その力がない、との意味を含意)などと言われた方も存じ上げております。このような、私たちから見たら誤った宗教観をお持ちの方は現在でもたくさんいらっしゃいます。もっとも上記のような方は論外としても、現世利益的な宗教信仰をお持ちの方が日本人の大半ではないでしょうか。
ところで、五井先生ご自身も御利益を求める私たちの心情を決して無下には否定なさいませんでした。五井先生は、現世利益を求める私たちの心もある意味で宗教心の発露として、すなわち真実の宗教信仰に導くための方便として認めていらっしゃったのです。実際お元気な頃の五井先生は、誰が勧めても個人相談をお辞めにならず、どのような相談にも嫌な顔ひとつせずに懇切に対応されていたと聞いています。五井先生のお浄めなどによって救われた方も事実たくさんいらっしゃるわけです。
以上、御利益がないことだけをもって宗教の正誤を判断されるような向きも多々ありますので、誤解のなきよう、老婆心ながらここに付記させていただきました。
※ なお上記の問題は、ひと言でまとめれば「宗教」と「呪術」との違いとでも表現できるでしょう。これはかつて私の恩師に当たる人から教えていただいたことで、大変大事な観点であると思うのですが、残念ながら本論の範囲を超える問題です。後日別稿にて詳述したいと考えておりますが、或いは本論の展開の中で簡単ながら触れることができるかも知れません。 |
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