|
||||||||||||||
|
||||||||||||||
|
||||||||||||||
![]() |
||||||||||||||
|
||||||||||||||
![]() |
||||||||||||||
|
||||||||||||||
![]() |
||||||||||||||
|
||||||||||||||
|
||||||||||||||
前置き的な話がいささか長くなってしまいました。(^_^;) |
||||||||||||||
立教の初期の頃から、五井先生は「我が名を呼べ」と言って、会員さんの業をその身に肩代わりされてお浄めされていらっしゃいました。これはいわゆる「お振替え」というもので、五井先生でなければそうそうお出来にならない業(わざ)でしたが、そのために五井先生が以前から喘息症状の痰などに悩まされていたことは講話集などを読めば誰にでも直ぐ分かることです。しかし、ご逝去前の約5年間の五井先生のお苦しみは、人類の業を浄める働きがそれに加わって、先にも書いたように筆舌に尽くしがたいものがあったようです。(ちなみに、その原因については上記の如く五井先生が自ら説明されていましたが、或いはそれは全て会員数の急増に伴う会員さんの業によるものだったのかも知れません。みんなを心配・躊躇させまいとの愛念から、五井先生はそれを「人類の業を浄めるため」と嘘をおつきになっていらっしゃったのではないか。私はそんな感想も抱いております。)
とにかく、一人で歩くこともままならず、講話も満足にお出来にならない。そんな状態でありながら、五井先生は毎月の『白光』誌にご法話と巻頭言を欠かさずお書きになっていらっしゃいました。晩年の法話を拝読すると、私も若干の文体の乱れなどを感じることはあるのですが、しかし、内容面ではいささかの論理的な破綻もない。いつも通り理路整然とお書きになっていらっしゃいます。もちろんこれも確認したわけではありませんから、もしかすると口述筆記であった可能性もないではありませんが、何れにせよ毎号欠かさずにきちんとした内容のものを準備されたことは、あのお身体(からだ)の状態を考えれば実に驚くべきことと言わざるを得ません。
|
||||||||||||||
|
||||||||||||||
さて、五井先生の没後初めて出版された法話集は、昭和56年5月刊の、その名もズバリ『世界人類が平和でありますように』というご本でした。そして、この頃から初出の『白光』誌の年号などがご著書に記載されるようになりました。
※ もっとも絶筆が二つもあっては本来は困るのですが、どちらが最後に書かれた原稿なのか知りようがないので、五井先生の原稿には「ご法話」の絶筆と「巻頭言」の絶筆の二つがあると取りあえずは考えておけばよいと思います。(その辺の事情について詳しいことをご存知の方は是非お知らせ下さい。)
|
||||||||||||||
|
||||||||||||||
五井先生の絶筆の内容については件の文章そのものを実際に読んでいただければよいので、ここでは余り詳しくは書きません。(本HPの目次ページ冒頭には、「五井先生最後のお言葉」として2〜3ヶ月前よりその一部を引用してありますので、その一文を既にご覧になった方もいらっしゃるでしょう。)
とにかく五井先生は、その二つの絶筆に当たる文章の末尾を、
もっともこれ以上私がくだくだと説明しても仕様がないので、上に触れた五井先生の絶筆の中から、その締めくくりの文章を以下に引用することに致します。(なお、引用文中のゴチックは引用者によります。) |
||||||||||||||
まずは、「ご法話」の絶筆から――
人の心で地球の情勢をみていますと、とても真実の平和の世界が生れ出るように思えません。しかし、神様は、地球世界もやがては完全平和になる、といっていらっしゃるし、宇宙人たちも、そういう状態を現わして、今は地球人類の救いに起っておられるのですから、必ず地球も真実の平和の世界を現出することになるわけです。そのためには、そういう平和な心、愛と誠の心をおしかくしてしまうような業想念波動を消してしまうよりしかたがないわけで、積極的に愛と調和の働きをすることは、勿論よいことなのですから、その働きを容易にできるように、業想念波動を消えてゆく姿で、世界平和の祈りの実践によって、達成してゆくことが必要なのです。
次に「巻頭言」の絶筆より――
ここでよくよく考えなくてはならないことは、人間の根本的な宇宙観のことである。人間という者は、単なる自然の力によってこの世に生れ出ているものであり、神とは全然別個の世界にいるものであって、人間が神になることは不可能なのである、というのか、それとも常に私が申しているように、人間は神の子であって、常に神との一体観をはかっていれば、自由自在にすべてに調和して生きていけるものであるのか、という二つの宇宙観である。
|
||||||||||||||
|
||||||||||||||
繰り返しになりますが、以上のことから、五井先生は最後の最後、《世界平和の祈りに全託してゆくことが、今日の世界にとって、一番大事な》ことなのであって、《一人でも多くの人が、世界平和の祈りを祈って下さることを》心より願っていらっしゃることを――そして、そのことだけを――あのお苦しい息の中で私たちに訴え続けられてお亡くなりになったのだ、ということが分かります。
もっとも五井先生のご著書を読めば誰にでも分かる通り、五井先生が口を酸っぱくして言ってこられたことは「祈り以外に人類を救う道はない」ということです。ここは大事なことですが、世界平和の祈りだけではダメなのである、つまり世界平和の祈りは不完全な行法なのだとは、五井先生は一言もおっしゃってはいらっしゃらないのです。
|
||||||||||||||
|
||||||||||||||
貴方もあなたも、今から速やかに世界平和の祈りを、祈りはじめて下さい。それ以外に人類を救う道はないのです。しっかり考えて下さい。
|
||||||||||||||
![]() |
||||||||||||||
|
||||||||||||||
![]() |
||||||||||||||
|
|
Copyriht(C) 2003.5 全託道場 All Rights Reserved 当サイト内の文章・写真・デザインの無断転載は禁じます 管理責任者:全託道場主ムッシュぼけみあん |