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世界人類が平和でありますように
ようこそ!全託道場へ
 世界平和の祈りに全託を! 果たして五井先生は私たちに何を訴え続けてお亡くなりになったのでしょう? 
 「宗教とは出会いの体験である」との観点より、まずは私の入信体験について述べさせていただきました。
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全託道場山門 私たちの《信条》 五井先生の遺言[目次] 第一章☆邂逅――世界平和の祈りとの出会い
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 だから皆さんは、私に会える間はかまわず私に浄めてもらい、もし会えなくなれば世界人類の平和だけ祈っていればいいのです。
(五井先生のお言葉)
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全託道場 Contents
 Explanation★ 私たちの《信条》




 五井先生の遺言
〜五井先生が最後に遺した言葉〜



序文へ〜宗教の目的とは〜 【序】  はじめに――本文を読まれる前に


冒頭ライン2:世界人類が平和でありますように



第一章 邂逅
           ――世界平和の祈り(=五井先生)との出会い



【目次】

【一】.私の信仰体験
【二】.宗教体験としての《出会い》――“五井先生と出会う”ということ
【三】.心静かに思いみれば・・・


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たとえ わたしの裳(もすそ)をとって
わたしの後に随
(したが)い来ようとも、
もし彼
欲をいだき、いかりをいだき 邪
(よこし)まの思いをいだき、
怠りにふけり、知解
(ちげ)するところがなかったならば、
彼はわたしから 遠く離れており、
わたしは彼から 遠く離れておるのである。
なにとならば
かの比丘
(びく)は 法を見ないからであり、
法を見ない者は わたしを見ないからである。

たとえ わたしを遠く離れて 
百里のかなたにいようとも、
もし彼
欲をいだかず、いかりをいだかず、邪まの思いをいだかず、
怠りをすてて、知解し、確立することを得たならば 
彼はわたしのそばにおり、
わたしは彼のそばにおるのである。
なにとならば
かの比丘は 法を見るからであり、
法を見る者は わたしを見るからである。
(如是語経)
(増谷文雄『阿含経典による仏教の根本聖典』より)


 先ずは個人的な話しから始めたいと思います。


【一】.私の信仰体験

 新たに「自己紹介」のページでも設けて詳しいことはそちらで書くべきでしょうが、
 私が初めて五井先生のみ教えに触れたのは、今からちょうど30年前の1974年(昭和49年)頃のことでした。その頃は、ちょうどローマ・クラブの衝撃的なレポート『成長の限界』が世界的な話題となり、いっぽう日本では五島勉さんの『ノストラダムスの大予言』がベストセラーとなっていた時期でした。多くの人々に人類の未来を憂慮させる、そんな危機的な雰囲気が、当時は日本ばかりでなく世界じゅうに漂っていたのです。かくいう私も、当然のことながら人類の未来に以後強い関心を寄せる一人となった次第です。


 当時空飛ぶ円盤に興味を持っていた私は、偶々手にした村田正雄氏の『空飛ぶ円盤と超科学』が機縁となって五井先生の本を読むようになりました。高校一年の時でした。
 私が最初に読んだ五井先生の本は、当時刊行されて間もない『人類の未来』というご著書でした。もっともその時は、その本がえらくつまらなく感じてうんざりしてしまい、「だから宗教の本は嫌だ」とまで思ったことを今でもはっきりと覚えています。で、投げ出そうかとも思ったのですが、出したお金が勿体ないと思い直し(当時は680円といえど私には結構なお値段だったのです^^;)、仕方なく嫌々読み進めることにしたのです。
 でも、知らず知らずのうちに読書に集中していたのでしょう(禅宗で言えば、“只管打坐〔しかんたざ〕”ならぬ“只管読書”の状態になっていたのかも知れません)、ふと我に返ると、一種の法悦感とでも言ったらよいでしょうか、嬉しさが、悦びが、身体(からだ)の中から繰り返し沸き上がってくるのです。その時は食堂で本を読んでいたのですが、近くにいた母親に気付かれても恥ずかしいので、そそくさと自室に引き上げてベットの上で続きを読みました。

 思い返してみれば、その夜、本の上とはいえ私は確かに五井先生と出会い、ベットの上で《信仰告白》をしたのです。「五井先生(当時はまだ先生とはお呼びしておりませんでしたが)、本当にその通りですね。五井先生を信じ(=教えを受け入れ)、この祈りを今後はずっと祈り続けてまいります」と。
 今にして思えば、約30年前のその日が私の信仰者としての《目覚め》の時であったわけです。日にちこそ覚えていませんが、晩秋か初冬のある日の夜のことでした。


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【二】.宗教体験としての《出会い》――“五井先生と出会う”ということ

 一般に、《一期一会》とか「人生は出会いである」とよく言われます。それと同じく、いやそれ以上に、宗教信仰こそはまさに《出会いENCOUNTER》に尽きると私は思うのですが、――そして、私の貧弱な経験もそれこそ様々な《出会い》に支えられてのことだったのは間違いのない事実ですが、――その《出会い》のうちの最大のひとつが、私にとっては“五井先生(=世界平和の祈り)との出会い”であったわけです。
 そして、私が五井先生に出会ったということは、私がこの日に「世界平和の祈り」のスイッチを入れた、ということに他なりません。爾来私は「世界平和の祈り」を祈り続けてまいりました。もちろん祈りを忘れることも多々あったわけですが、それでもこの祈りは私のたましいの中で今日まで鳴りひびいていたようです。そのように私は信じております。



×       ×       ×


 ちなみに、「世界平和の祈り」は五井先生の《存在》そのものであり、五井先生は「世界平和の祈り」そのもののお方です。実際そういう意味のことを五井先生自身が講話の中などでお説きになっていらっしゃいます。
 或いはまた、白光真宏会のご本尊は「世界平和の祈り」なのだと言ってもよいかも知れません。理解や表現の仕方にもよりますが、宇宙神や他の神界の神々が白光の“ご本尊”なのではありません。このことはエッセイ「神様の御心をいのる祈り」も簡単に書いたことですが、要するに“神様の御心
(=世界平和の祈り)そのもの”が私たちのご本尊なのであります。ましてや、印やマンダラや宇宙子科学が本尊であるわけがありません。私はそのように理解しております。


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【三】.心静かに思いみれば・・・

 繰り返しになりますが、確かに私は肉体身の五井先生に直接お会いする機会はありませんでした。しかし上にも書いたように、私はあのとき確かに五井先生に出会ったのです。信仰を得るということはすべからくそういうことです。それに加えて、五井先生をお慕いする多くの講師や古い会員さんたちのお話を聞くことで、私もその方々を通して五井先生に直かにお会いしていたのだと確信しております。
 そして、この私の拙い文章をお読みの皆さんも、 それは 同様ではないかと思うのです。


 この文章をお読みの方の中には、五井先生に直接お会いした方もいらっしゃるかも知れません。或いは五井先生没後の会員さんで、または非会員の方で、五井先生のお姿すら拝見したことがない、という方ももちろんたくさんいらっしゃることでしょう。
 詳しいことはこれ以上書きませんが、とにかく、上に書いたように信仰とは《出会い》に尽きるとはいえ、それは必ずしも肉体的な《出会い》に限定されるわけではありません。《法を見る者は仏を見る。仏を見るものは法を見る》とは有名な仏典の言葉だそうですが、それと同じく、肉体身の五井昌久先生に直接お会いできたかどうかはさして重要な事柄ではないのです。

 とにかくそのような意味で、きっとあなたも、ある日、五井先生のみ教えに触れて感動した日があるでしょう。
 信仰を得たその日はいつのことだったでしょう? その日のことをちょっと思い出してみて下さい。生意気なことを言うようで大変恐縮ですが、初心に帰ってみて、こころ静かに考えていただきたいのです。



 あなたにとっての五井先生との出会いはどのような《出会い》だったでしょうか? 
 どのような《信仰体験》だったのでしょうか? 


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第2章へ〜晩年の五井先生〜第二章 晩年の五井先生――衆生病む故にわれ病む

第3章へ〜五井先生の絶筆〜第三章 五井先生の《願い》――五井先生の絶筆をめぐって

第4章〜法に随うべき時〜第四章 永訣――法に随うべき時

跋文へ」〜私たちの誓い〜 【跋】 私たちの誓い――世界平和の祈りは永遠なり!


2004.4.8
2006.4.7レイアウト改訂
2007.8.18タイトル改題
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