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世界人類が平和でありますように
ようこそ!全託道場へ
 五井昌久先生の著書を下に、五井先生の真実のみ教えについて講義された森島恒吉先生の講義録(レジメ)です。
 本ページは、五井昌久先生の『責めてはいけません』をテキストに為された東京集会での森島恒吉先生の講義録です。
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全託道場山門 私たちの《信条》 森島恒吉先生講義録[目次] 責めてはいけません
世界平和の祈りに全託してゆくことが、今日の世界にとって、一番大事なのです。
(五井先生最後のお言葉)
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 Explanation★ 私たちの《信条》

世界人類が平和でありますように

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森島恒吉先生講義録28:

五井昌久先生著
『責めてはいけません』




1.正しい祈り方

(守護霊さん守護神さん、どうぞ一日も早くこういう業想念を消して下さい、お願い致します)
“神さまはみんな消して下さるんだ、守護霊さん守護神さん、どうぞ一日も早くこういう業想念を消して下さいませ、お願い致します、有難うございます”とやる。(テキストP8)

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〔森島恒吉先生のコメント&解説〕
祈りは、自分の感情が納得するような形で実行すればよい。
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(あゝ神さま申訳けありません)
あゝ申訳けない、これは業の消えてゆく姿だったのだ、神さま申訳けありません、とか、有難うございます、ということを、自然に思いますよ。(テキストP9)

(神さま、わが天命を完うせしめ給え)
世界平和の祈りをしていれば、わが天命を完うせしめ給え、という祈りをしていれば、自ずから、神さまのほうから、自分の本心のほうから、自分の仕事が決まっちゃうわけです。(テキストP11)

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〔森島恒吉先生のコメント&解説〕
「私達の天命が完うされますように」、と祈っていればよい。せっぱつまって、自分のことしか考えられない状態の時には、自分だけの天命が完うされますように、と祈ってもよい。そのように祈っていると、だんだん他人の天命の完うも祈れるようになる。
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(神様、どうか私をいい人間にして下さい)
自分では直しようがないのだから、サア神様どうか私をいい人間にして下さい、って”世界人類が平和でありますように”と平和の祈りの中に入れてしまえばいいのです。(テキストP72)

(神様お願いします、世界人類が平和でありますように)
神様お願いします、世界人類が平和でありますように・・・そういう気持ち。(テキストP95)

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〔森島恒吉先生のコメント&解説〕
これが、五井先生の祈りで最も多い祈りの形式である。
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(どうぞ神様ご自由に、って投げ出す気持で、世界人類が平和でありますように、とやる)
自分があがいたってどうしたって仕方がないじゃないか。とはっきり思い定めてしまうのです。どうぞ神様ご自由に、って投げ出す気持で、世界人類が平和でありますように、とやるのです。
(テキストP98)

(どうか守護霊さん守護神さん、あの人達が立派になりますように)
向うの天命が完う出来ますように、どうか守護霊さん守護神さん、あの人達が立派になりますように、という愛の光を送ってやればいいと思うんですよね。(テキストP108)

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〔森島恒吉先生のコメント&解説〕
くだらない人や、嫌いな人がいたら、このように祈ればよい。
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(“ああ私は悪かった、神様ごめんなさい”と、懺悔すると救われる)
“神様ごめんなさい”でもいいんです。といって神様の中に投げ出してしまえば、今迄やって来た想いがカラッと晴れて、今度は新規まき直しになるでしょう。自分をごまかしているのを“ああ私は悪かった、神様ごめんなさい”というのが懺悔なのですね。そうすると救われるのですよ。(テキストP128)

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〔森島恒吉先生のコメント&解説〕
この懺悔の祈りは、自分を反省する心のある人のみが、祈ることができる。
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(神様お願いします、あの人の天命が完うされますように)
こちらから神様お願いします。あの人の天命が完うされますように、どうかあの人が立派な人になりますように、という祈りの心を出すと、祈りは光であり、光は神様のみ心だからその人の業をはぐわけです。業を薄めてしまうわけです。祈る人が二人になり三人になり、このように団体になってくると、大勢の祈りの力が光になって、一人一人の業を消してゆくわけですよ。(テキストP144)

(守護神さんよろしくお願いします、あの人の天命が完うされますように)
守護神さんよろしくお願いします。あの人の天命が完うされますように、という心でもって〜(テキストP147)


2.正しい信念

(世界は必ず平和になるんだ、日本は必ず平和になるんだ)
世界は必ず平和になるんだ、日本は必ず平和になるんだ、という想いが、自分達の中になければならない。(テキストP68)


3.心の法則の欠陥

(さんざん生長の家などをやってきた人達は、心の法則で悩む)
さんざん生長の家などをやってきた人達は、心の法則で悩むんです。道徳科学などをやった人は悩むのです。ああ自分はこんなに宗教をやりながら、こんなに修養しながら、どうしていつまでもこのように、自分の心の中から、怒りや妬みや不安、そういう想いが消えないのかしら、といって悩むんですよね。(テキストP10)

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〔森島恒吉先生のコメント&解説〕
心の法則をやっていると、どうしても悩むようになる。自分の心に正直でない人は悩まない。
白光真宏会の人達は悩んでいない。なぜ悩まないかといったら、それは白光の人達が、真面目に心の法則の教えを実行していないから。真剣にやれば、その欠陥がわかる。
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(想いをつかんで責めちゃだめ)
想いをつかんで責めちゃだめ。生(なま)じっか宗教をやったり、修養をやった人というのは、人を責めやすいから、責めちゃいけません。人ばかりでなく、自分も責めるからね。(テキストP14)

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〔森島恒吉先生のコメント&解説〕
心の法則の教えには、人を責め裁く欠陥がある。
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(因縁因果で責められる方は、くたびれてしまってだめになる)
片一方では、因縁因果因縁因果で責められる方は責められ通しになって、くたびれてしまってはだめになる。(テキストP17)


4.観念的実相論の欠陥

(「人間の肉体は無いんだ、病気は無いんだ、不幸はないんだ、実相は完全円満なんだ、みな神の子なんだ」だけでは、やっぱり大衆には手が届かない)
 「真理の目玉よ降りて来い」という詩がありましたね、あれと同じで、理想論的に「人間の肉体は無いんだ、病気は無いんだ、不幸はないんだ、実相は完全円満なんだ、みな神の子なんだ」それだけでは、やっぱり大衆には手が届かない。真理の目玉が降りて来ない。
 高い所にいるものだから掴みようがない。肉体無しというところまで悟りがゆく、病気無しというところまで悟りがゆく、貧乏無しといういうところまで悟りがゆく、すべては空なんだ、というところまで悟りがゆく、その梯子がない。いっぺんに飛び上らなきゃならないけれど、飛び上れない。飛び上っちゃ落ち、落ちては飛び上って、ついにくたびれてしまう。かえって宗教をやらない前よりも、心が疲れてしまう、萎縮した人間になってしまう。(テキストP16)

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〔森島恒吉先生のコメント&解説〕
更科源蔵 「凍原の歌」(フクロウ) より。実際の詩の中では、理想の目玉となっている。
“真理の目玉” : 高い理想ばかりをみている目。高すぎる所にあるので、救われない。
今までの教えは、実行できないような高い教えだけたった。
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(人間神の子完全円満と言葉で云ったって、神の子にもなんにもなりはしない)
だから人間神の子完全円満と言葉で云ったって、そんなものでは神の子にもなんにもなりはしない。守護霊守護神と一つになって、業想念を乗りこえた時、はじめて神の子が現われるんです。それを守護霊守護神を通さないで業想念をぬけないで、業想念の三界の渦の中にいて、人間は神の子、病気なし貧乏なしとやったって、それは只ほえているだけにすぎない。それではちっとも本当のものにならない。嘘、偽善、欺瞞なんです。そういうことをやっていては、少しもその人は偉くならない。(テキストP28)


5.中庸実相論の特徴

(人間というのは肉体世界では不完全なんだな、と不完全な現実をみなければいけない)
やっぱり、不完全なら不完全な現実をみなければいけない。人間というのは不完全なんだな、肉体世界では不完全なんだな、不完全だからこそ、凡夫であればあるこそ、自分の子供が他人の子供より可愛ければこそ、自他一体化が出来ないからこそ、そういうような業想念があればこそ、親鸞上人が必要だったんですね。
(テキストP29)

(自分で心臓を動かすことは出来ないと同じように、自分の業想念は自分では始末がならない)
なんでもかんでも自分で始末しようと思ったって、出来っこない。自分で心臓を動かすことは出来ないと同じように、自分の業想念は自分では始末がならないのです。始末がなっていれば、お釈迦様以来みんな幸福になっているわけなのです。
(テキストP74)

(自分で自分の心を変えるなんていうことは、とても出来るものではない)
あんな偉い人でもそうなのだから、まして社会生活の混頓とした生活の中で、欲望の中にまきこまれていながら生活している現代人が、自分で自分の心を変えるなんていうことは、とても出来るものではありません。私自身だって出来やしない。だから神様の中に全部入っちゃったわけですよ。(テキストP75)

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〔森島恒吉先生のコメント&解説〕
五井先生でさえ、自分で自分の心を変えることはできなかった。それほど、自分で自分の心を変えることは難しい。自力の難しさを知らなくてはならない。
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6.念仏の短所

念仏は、抹香くさい、意気はつらつとしない、暗い感じがしてきちゃって、使いにくい)
ところが現代になりますと、南無阿弥陀仏というのは、死骸にばかりあげているような気がしている。病人の枕許でいっぺんやってごらんなさい。「お見舞いにまいりました。南無阿弥陀仏」なんだか死んじゃったような気がするもん(笑)まずいでしょう。何故、そうなったかというと、南無阿弥陀仏が光明燦然と使われないで、お葬式や法要ばかりにあげるような経文みたいになってしまったからです。そうすると、そういうような想いがみなぎってしまう。抹香くさい、意気はつらつとしない、暗い感じがしてきちゃう。しめっぽくなっちゃっている。使いにくい。(テキストP30)

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〔森島恒吉先生のコメント&解説〕
念仏の精神は真実で永遠であるが、現代における念仏は、葬式にばかりあげるような暗い感じがする、西方極楽浄土を現代人は信じられない等、人類共通の祈りとすることには無理がある。
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7.世界平和の祈りの特徴

(世界平和の祈りは、もっともわかりやすい)
世界平和の祈りは何故いいかといったら、もっともわかりやすい。
(テキストP31)


8.世界平和の祈りの効果


9.質疑応答

(自分の全生活を神様のみ心の中へ投げ出して、個人個人のものは捨ててしまうぐらいの気合をもって、世界平和の祈りをすると、運命は余計に早く開く)
自分の想いを、自分の全生活を神様のみ心の中へ投げ出して、そういう気持で、世界人類が平和でありますように、どうか本当に喧嘩になりませんように、世界人類が平和でありますように、という想いの中に全部入れて、個人個人のものは捨ててしまうぐらいな、そういう気合があると、運命は余計に早く開く。それが自分の方が先なんだ、自分の生活をなんとかしてくれなきゃ、世界平和もあったものじゃない、なんて思ったら、それはもうヘナヘナヘナと同じ。それを卒業するまでは苦しみます。だから構うことないから、もう死んでもいいんだ、生きてもいいんだ、とにかく自分というものは神様に生かされているんだから、神様がもうそれでおしまい、お前はあの世へ行きなさい、ひ干しになってあの世へ行きなさい、というんだったら、ハイって行けばいい。そういう気持になっちゃうのですよ。(テキストP96)

〔質問1〕
この中で五井先生は、自分を先にするのはヘナヘナヘナと同じと五井先生はおっしゃっています。これは、他の部分の記述と相違すると思うのですが。

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〔回答1〕
これは心境が高い人 用に、五井先生がお説きくださったものである。初めは自分の生活ばかり考えていてもいいが、いずれは自分の欲望を捨て、自分の我を捨てなくては、悩みは無くならない。宗教の目的は、小我を捨て、真実の我を先に生かすことにある。
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(世界人類の平和を、気軽な気持ちで祈りつづければよい)
 スイッチをひねれば電気がつく。コックをひねればガスがでる。というように、世界平和・・・と思った時にはスイッチをひねったことです。その想いはすぐ感応するわけですね。世界平和・・・と想った時には、想いが強かろうが弱かろうが、もうスイッチをひねったことになる。そうすると世界平和の祈りの大光明が体を通って来るわけです。自分で気づこうと気づくまいと、世界平和の祈り言を全部やらなければならない、というのではない、世界平和・・・と想った時には、もうスイッチをひねった時です。そうすると光が流れてくる。だから何が何でも世界平和の祈りを全部いつでも繰返し繰返しやらなければならない、というものではないのです。スイッチをひねりさえすれば、光が流れてくるのです。それを力を入れてやらなければならないと思って”世界人類が・・・”とやったら、スイッチがこわれてしまうかも知れませんよ(笑)軽くひねればいいのです。”世界平和・・・”と気軽く思うことが大事なのです。力を入れてやるからいいっていうものじゃない。力んではダメ。柏手と同じです。力まないでいいんですよ。
 スイッチをひねったらひねったそのままでいいのです。それを世界平和を祈りながら、こうひねったのだけど悪かろうか、止めてみたり又ひねったり、年中動かしているでしょ。動かしてたのではちゃんと光が入って来ないでしょ。消えたりついたり、消えたりついたりするわけですからね。だから動かさない。入れたら入れっぱなしにしておけばいいのです。(テキストP122)

〔質問2〕
入れたら入れっぱなしにしておけばいいのです。とは?

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〔回答2〕
「入れたら入れっぱなしにしておけばいいのです」と五井先生はおっしゃっているが、通常の場合は、業がスイッチを切ってしまう。怒りや嫉妬等の業想念が湧き起こっている時には、スイッチがきれてしまっている。平和な心でいられる時には、スイッチが入っている。
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〔質問3〕
世界平和の祈りは、思い浮かべた時にはすでに祈っていることになるので、世界平和の祈りを間違えて祈ってもよいのでは?

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〔回答3〕
五井先生は別のところでは、世界平和の祈りは一言一句間違えてはいけません、と説いている。間違えてとなえても良いが、初心者がいいかげんに祈るようになってしまってはいけないので、やはり間違えないで祈るのがよい。(全文を祈る必要はない)
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森島恒吉講義録
【目次】

『生きている念仏』
『光明をつかむ』
『愛すること』
『愛・平和・祈り』
『平和を呼ぶ声』
『霊性の開発』
『本もの贋もの』
『空即是色』
『白光への道』
『祈りのある生活』 
『聖なる世界へ』
『運命を恐れるな』
『これからの文明文化』 
『信仰と直観』
『純朴の心』
『直言・提言・進言』
『人類の未来』
『日本の心』
『宗教問答(正)』
『続 宗教問答』
『神への郷愁』
『心貧しき者は幸いなり』
『魂が大きく開く時』
『天命を信じて人事を尽くせ』
『私に荷物を預けなさい』
『質問ありませんか?』
『高級霊は上機嫌』
『責めてはいけません』
『自由解脱への道』
五井昌久講話集・第一巻
『生命光り輝け』
五井昌久講話集・第四巻
『明るい心』
五井昌久講話集・第五巻
『不動の心』
『行雲流水』
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2003.6.18
2008.9.15移動&改訂
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  貴方様が幸せでありますように
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