今回の講義は、森島先生が出席者に対して、五井先生のご本の中から問題を出題をする、質問形式で行われました。ご自分で回答を考えながら読まれると、なお良いと思います。
◆質問1:
光明思想の行とは、どのように行じたらよいのか?
◆回答1:
悪や不幸や不調和は、消えてゆく姿として神さまに投げ入れてしまう。
光明思想 ==> 消えてゆく姿
↓
光明が現れてくる
無限なる光明とか、無限なる〜と唱えるのは、光明思想とはいえない。
無限なる光明等と唱えるのは、セルフヘルプ(自己啓発)の一種である。
セルフヘルプは、仏教の因縁因果と原理は同じであるが、セルフヘルプは、因縁因果の法則の善因善果の部分のみを説いている。
仏教の因縁因果の法則は、三界(霊界の下層、幽界、肉体界)の想念法則であり業の法則である。業の法則では、神界に至ることはできない。
(神界は、業の法則の範囲外にある。)
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<参考>セルフヘルプとは
セルフヘルプとは、神仏に頼らずに、自らの潜在能力を自らの念力によって開発する方法で、自助と訳すが、日本では桑名一夫氏が初めて「自己啓発」と訳出した。こうした自己啓発の本は、アメリカではセルフヘルプブックまたはインスピレーションブックと呼ばれている。
人間の想念は、表面に現れている顕在意識よりも、表面に現れない潜在意識のほうが膨大である。これは、氷山の海面上に現れている部分が顕在意識であり、海面下の部分が潜在意的と喩えることもできる。セルフヘルプでは、この膨大な潜在意識部分に働きかけて、自分の願望を成就する方法を説いている。
セルフフルプで使うアファメーション(断定暗示)には、次のような表現がある。
第一段階… I can 〜 (私は〜できる)
第二段階… I will 〜 (私は〜やるぞ)
第三段階… I am 〜 (私は〜である)
アファメーションを集中してゆくと、第三段階 「I am 〜」の心理状態に到達する。
「我即神也」には、「神」という言葉があるので、いかにも宗教的な祈り言であるようだが、念力である。アファメーションの第三段階を応用した言葉にすぎない。
セルフヘルプは、あくまでも業の三界の法則であるので、「我即神也」と、いくら唱えて自分の潜在意識にいいきかせてみても、神になることは決してできない。
(神界には、三界の業の法則は通用しない。)
五井先生は、自己暗示方法は、『祈り』ではなく、『念力』として否定的している。
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◆質問2:
宇宙人が現れ、「私は宇宙人だ。貴方は選ばれた人だ。超特別の光を与える。」と言ったら、どのように答えればよいか?
◆回答2:
「消えてゆく姿。世界人類が平和でありますように。」と唱えればよい。
五井先生著書 『行雲流水』 32ページより
「ただそうなる手前に、幽界の生物たちが、神々や宇宙人のまねをして、肉体人間をたぶらかそうとして働きかけてくるから、その点を気を付けて、ひたすら世界平和の祈りをしつづけるとよいのである。」
幽界の生物は、世界平和の祈りが広まると、自分達の居場所がなくなってしまうので、世界平和の祈りを祈らせまいとしている。
幽界の生物は巧みであり、世界平和の祈りを直接的に否定することはない。もし、世界平和の祈りを露骨に否定すれば、皆が「おかしい」と気づくからである。
幽界の生物は 『世界平和の祈りよりも、もっと良い方法がある』 と言って、世界平和の祈りを祈ることを、遠回しに間接的に、妨げようとしているのである。
◆質問3:
最も幸福な人とはどんな人?
◆回答3:
いつでもどこでも「神さまありがとうございます」と感謝できる人。これは、宗教の目的として掲げるべき課題である。五井先生のような覚者は、雨の日でも風の日でも、その嫌な所ではなく、良いところのみを見て、いつも感謝している。
◆質問4:
宗教者が政界に入ると政治が浄まるか?
◆回答4:
政界は浄まらない。宗教者は政治の世界には首をつっこまないで、良き政治家を育てるといったことに専念するのが良い。
◆質問5:
外国で飢饉等の悲惨な状態が続いているが、我々はどのようにすればよいか?
◆回答5:
物資の援助をするだけではなく、世界平和の祈りをするのがよい。
◆質問6:
話合いよりも、もっと相手と調和をはかる方法は何か?
◆回答6:
祈り合い。「あの人の天命が完うされますように」と祈る、祈り合いが必要。
◆質問7:
日本の目的と天命は何か?
◆回答7:
大調和。世界平和の中心国となること。
◆質問8:
悪や過ちを消滅させるにはどうすればよいか?
◆回答8:
消えてゆく姿で世界平和の祈りをする。時代劇などでは、善人が悪人を斬っているのを見ることができる。しかし、我々には悪や過ちを腕力で無くすことはできない。
悪を消滅させるには、祈りによるしかない。祈りの力によれば、相手を傷つけずに、悪を消滅させることができる。
五井先生著書 『行雲流水』 171ページより
「私共の運動は、腕力によらぬ、祈りの力によって、悪や過ちを消滅させてゆく真の勇気ある、平和運動なのである。」
◆質問9:
祈りは、依頼心を助長し、人間を弱くするのではあなませんか?
◆回答9:
祈りは人間の最大の力を発揮することができる。
五井先生著書 『行雲流水』 175ページより
「祈りとは単なる願い言でも、依頼心の発露でもない。人間の本質的な力をあますことなく発揮するために、神と一体化する方法なのである。消極的にみえながら、最も積極的な方法が、世界平和の祈りを根底にした地球人類救済の働きなのである。」
◆質問10:
世界平和の祈りを祈っている私達の天命は何か?
◆回答10:
世界平和を築き上げること。
五井先生著書 『行雲流水』 180ページより
「世界平和の祈りの人たちは、祈りによる世界平和運動によって、この地球界に平和を築き上げることが、自分たちの天命であることを知っている。実に幸せなことである。」
五井先生は「一日一回でもよいから祈り続けてください」、と仰っしゃっている。
(質疑応答)
質問
自力行で神になる方法はありますか? 役の行者は自力行で肉体を消し去って、霊界に移行したようですが..?
回答
自力行で本心を開発する方法として、座禅行がある。座禅をすることによって、神になることは、できないことはない。しかし、禅とは、自分の意志力で自分の想念を停止しようとする空観行であるから、一般大衆にとっては、ほとんど不可能と言ってよい。
道元禅師もまた、この空観行だけではなく、釈迦牟尼世尊を唱えたり、観音経を読経したりしていたようなので、実際には純粋な自力行だけではなかったようである。
ところで、自力行と念力行とは異なるので注意したい。自力行とは、想念を無にすることによって、空の境地になり、本心を開発する、という宗教の行であるのに対して、念力行とは、想念を強く念じることによって、自己の欲望をかなえようとする、非宗教的な行である。したがって、自力行では、難行苦行の末に、いつかは神になれる可能性はあるが、念力行は、いつまでたっても神になることはできない、と知るべきである。
役の行者が、具体的にどのような自力行を行ない、どのように自分の肉体を消滅せしめたのかは、五井先生は詳しく語っていない。また、京都にある修験道総本山、聖護院でも調べたが、当時の自力行の実際のようすは判らない。
五井先生からは「自力難行を尽くした役の行者でさえも、霊界にいって、自力行の限界を悟り、他力行に変更して、ようやく神界に至ることができた。その自らの体験から、今は、皆さんには最初から他力行を勧めているのです」と伺っている。